州知事夫人から州知事に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 13:59 UTC 版)
「ネリー・ロス」の記事における「州知事夫人から州知事に」の解説
ウィリアム・ロスは間もなくワイオミング州の民主党の指導的立場に就き、選挙に出馬するようになる。彼は何度か落選を経験するも、1922年のワイオミング州知事選挙で勝利した。しかし、1924年10月2日、彼は任期半ばにして、虫垂炎手術後の合併症により48歳で死去した。そこで、民主党は寡婦となったネリー・ロスに、翌月の特別選挙に州知事候補として出馬し、亡夫を継ぐよう推薦した。ネリー・ロスは選挙運動を拒んだが、1924年11月4日の選挙で難なく当選。1925年1月5日、彼女は合衆国の歴史上初めての女性州知事となる。 州知事としての彼女は、減税、貧農への補助、金融機関改革、子供や女性労働者や鉱山労働者の保護法等、夫の政策を引き続き実行。児童労働を禁止する連邦修正条項が保留されていたが、これをワイオミング州が批准するよう促した。夫と同じように、彼女も禁酒法強化を訴えた。
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