いわくら‐ともみ〔いはくら‐〕【岩倉具視】
岩倉具視 いわくら ともみ
京都生まれ。公卿、政治家。父は権中納言堀河康親。岩倉具慶の養嗣子。安政元年(1854)孝明天皇の侍従となる。5年(1858)日米修好通商条約勅許の奏請に対し、阻止をはかる。公武合体派として和宮降嫁を推進、「四奸」の一人として尊皇攘夷派から非難され、慶応3年(1867)まで幽居。以後、討幕へと転回し、同年12月、大久保利通らと王政復古のクーデターを画策。新政府において、参与、議定、大納言、右大臣等をつとめる。明治4年(1871)特命全権大使として使節団を伴い欧米視察。欽定憲法制定の方針を確定し、また皇族、華族の保護に力を注いだ。
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岩倉具視
岩倉具視
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 01:59 UTC 版)
岩倉 具視(いわくら ともみ、旧字体:岩倉 具󠄁視󠄁、1825年10月26日〈文政8年9月15日〉- 1883年〈明治16年〉7月20日)は、日本の公家、政治家。雅号は対岳。謹慎中の法名は友山。補職・位階勲等は、贈太政大臣贈正一位大勲位。維新の十傑の1人。
注釈
- ^ ただし石高では岩倉家と同程度の家が大多数であり、それ以下の石高の家もたくさんあった。
- ^ 岩倉家の始祖岩倉具堯の子・一絲文守開基による寺。
- ^ うち南側(表側)の1棟は移住後の1864年に、増加する来客に対応するため増築した。
- ^ 具視死去後の1902年に、移住当初から建っていた北側の棟の屋根の一部が茅葺きから瓦葺きに改築されたがほぼ当時のまま残され、その後1932年に国の史跡に指定された。
- ^ 「財団法人岩倉公旧跡保存会」の手で管理・保存され有料で公開されていたが、2013年1月に同会が役員の高齢化等を理由に解散したため公開を一時中止し、その後、建物は京都市に寄贈され同年5月31日より再び公開された。
- ^ この時期、岩倉の朝廷及び公家社会の現状に対する不満が強かった。この頃書かれた「極密語」と銘打った文章において、天下混乱の最大の原因は孝明天皇にあるとして、天皇は天下へ謝罪した上で自ら政治の刷新をすべきと論じている[2]。また、「続叢裡鳴虫」の中で公卿たちは武威に押されて定見が無く、他人の説を鵜呑みに付和雷同して互いを誹謗するのみの軽薄な存在であるとし、安政5年(1858年)以後で真に国事に尽くした公卿は自分以外には中山忠能・正親町三条実愛・大原重徳だけだと断言している[3]。
- ^ ただし協力していた藩士が少なからずいたというだけで、薩摩藩そのものが協力していたかどうかは不明。
- ^ 原口清の『孝明天皇は毒殺されたのか』によると孝明天皇の死因が天然痘であることは病理学的にも明白で毒殺はあり得ないとしており、この著作の登場以降、多くの歴史学者がこれを支持するようになり、現在では否定説が通説である。
- ^ 慶長の禁教令から続くキリスト教の禁教及びそれに伴う浦上四番崩れに代表される凄惨かつ非人道的な宗教的迫害が行われていた事が欧米諸国に知れ渡っていた事が要因である。
出典
- ^ a b c d 岩倉公実記
- ^ 『岩倉具視文書』巻一P264
- ^ 『岩倉具視文書』巻一P179・180
- ^ 『岩倉公実記』、1906年(明治39年)。国立国会図書館 NDLJP:781064/251
- ^ Nikkei Style『靖国神社は昔、競馬場!』、2011年(平成23年)12月16日。アーカイブ
- ^ 岩倉右大臣を喰違外に刺す - 新聞集成明治編年史第二卷、林泉社、1936 - 1940
- ^ 『官報』第20号、「賞勲敍任」1883年(明治16年)7月24日。p.3
- ^ a b 『岩倉具視公』
- ^ 沿革・校歌 岩倉高等学校
- ^ 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 Twitter 2021年11月28日
- ^ 「海舟全集 第十巻」
- ^ a b c 「伊藤侯、井上伯、山県侯元勲談」
- ^ 「維新風雲回顧録」
- ^ “大河ドラマ「青天を衝け」に磯村勇斗、深川麻衣、中島歩、板垣李光人ら17名出演”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2021年1月26日) 2021年1月26日閲覧。
岩倉具視(いわくら ともみ)
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岩倉具視
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右大臣。大久保とは幕末期からの盟友であるが、征韓論争において西郷の威圧を恐れ、大久保を裏切ったことも。しかしその後は肚を決め、西郷ら征韓派の威圧を頑として受け付けず、征韓論を白紙撤回させた。
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岩倉具視
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維新の十傑の一人であるが、作中では蟄居の身であるため行動できない場面がほとんど。竜馬により新政府の中心的人物に推される。
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岩倉具視
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岩倉具視(いわくら ともみ)
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「ちるらん 新撰組鎮魂歌」の記事における「岩倉具視(いわくら ともみ)」の解説
元左近衛権中将。通称「禁中の怪物」と呼ばれる筋骨隆々の公卿。屈強な肉体であり、自らの筋肉によって刀をへし折り、横綱の張り手を容易くに避け、尚且つ顔で受けてもビクともせず、逆に張り手一発で横綱を土俵から出せる程の強靭な肉体を持っている。幕府を滅ぼすために暗躍しており、その行動や策略には敵味方構わず、恐れられている。
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