岩倉具忠とは? わかりやすく解説

岩倉具忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 01:12 UTC 版)

岩倉 具忠
(いわくら ともただ)
人物情報
生誕 1933年昭和8年)9月10日
東京府
死没 (2016-02-13) 2016年2月13日(82歳没)
国籍 日本
出身校 京都大学
配偶者 河野文彦の次女
両親 岩倉具栄(第18代当主
:岩倉良子(伯爵藤堂高紹の長女)
学問
時代 昭和時代中期 - 平成時代末期
研究分野 イタリア語
言語学
ダンテ研究
比較文化史
研究機関 国際文化振興会(国際交流基金
イタリアローマ日本文化会館
京都大学
ローマ日本文化会館
京都外国語大学
霞会館
学位 文学博士京都大学1988年
脚注
岩倉家第19代当主
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岩倉 具忠(いわくら ともただ、1933年昭和8年)9月10日 - 2016年平成28年)2月13日[1])は、日本イタリア語学者・イタリア文学者。専門は、イタリア語史・ダンテ研究・比較文化史[2]京都大学名誉教授文学博士京都大学、1988年(昭和63年))[3]岩倉家の第19代当主にあたる。

経歴

岩倉具視5代目の子孫公爵岩倉具栄長男伯爵藤堂高紹の長女。歌手加山雄三とははとこに当たる。

東京府生まれ。1946年(昭和21年)、学習院初等科卒業。1949年(昭和24年)、学習院中等科卒業。1952年(昭和27年)、学習院高等科卒業。1953年(昭和28年)、学習院大学経済学部入学。1955年(昭和30年)、京都大学文学部編入学。1957年(昭和32年)、京都大学文学部イタリア文学科卒業。1959年(昭和34年)、同大学院修士課程修了。同年9月、イタリア政府留学生として、フィレンツェ大学ブルーノ・ミリオリーニイタリア語版の下でイタリア語史を学ぶ。1961年(昭和36年)9月に帰国。1962年(昭和37年)、京都大学大学院文学研究科博士課程を単位取得退学し、外務省所管の民間法人である国際文化振興会(1972年(昭和47年)以降は特殊法人国際交流基金)に勤務。1964年(昭和39年)5月4日河野文彦(当時三菱日本重工社長)の次女と結婚夫婦ローマ日本文化会館に勤務。1970年(昭和45年)4月にローマより帰国。1975年(昭和50年)に国際交流基金を辞し、京都大学文学部イタリア文学科助教授、1988年(昭和63年)に教授に昇任。1992年(平成4年)から1993年(平成5年)まで駐イタリア公使・ローマ日本文化会館館長を務めた[1]

1997年(平成9年)に京都大学を定年退官。その後、京都外国語大学教授。2005年(平成17年)より霞会館理事

2016年(平成28年)2月13日死去[1]。82歳だった。

著訳書

著書

翻訳

脚注

参考文献

先代
岩倉具栄
岩倉家
第19代
次代




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