小倉団地線、ほおじろ線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 09:56 UTC 版)
「京成バス千葉営業所」の記事における「小倉団地線、ほおじろ線」の解説
千葉駅に停車中の小倉団地線車両 貝塚バス停 - 県職員能力開発センター入口バス停間を走行中の小倉団地線車両(千02系統) 千01:千葉駅 - 道場坂下 - ほおじろ台 - 東警察署 - 千城台駅 - 東三丁目 - 千城台車庫(ほおじろ線) 千01:千葉駅 - 道場坂下 - ほおじろ台 - 東警察署 - 千城台駅(ほおじろ線・深夜バス) 千01-1:千葉駅 - 道場坂下 - ほおじろ台 - 東警察署 - 千城台駅 - 公園前 - 千城台車庫(ほおじろ線) 千02:千葉駅 - 道場坂下 - 市営霊園 - 滑橋 - 小倉団地 - 千城台駅 - 情報大正門 - 御成台車庫(小倉団地線) ち73:千城台駅 - 文華の街 - 御成台車庫(ほおじろ線)昭和30年代前半:西千葉線、西千葉駅西口 - 汐見ヶ丘 - 新宿町 - 前・京成千葉駅 - 貝塚 - 市営霊園を開通。 1966年(昭和41年)5月:西千葉駅西口 - 小倉団地入口(現・小倉台一丁目付近)に延長。 1967年(昭和42年)4月:西千葉駅西口 - 小倉団地に延長。 1967年(昭和42年)5月1日:千城台北町への路線を開通。(詳細不明。「緑と太陽の街をもとめて・千城台住宅地」による) 昭和40年代:西千葉線を前・京成千葉駅発着に短縮、小倉団地線となる。 1970年(昭和45年)5月:小倉団地線を千城台車庫まで延長、両住宅地統一経路での運行となる。ワンマン化。 昭和50年代:国道126号経由便、国鉄千葉駅 - 旭町 - 坂月小・自動車試験場 - 小倉団地 - 千城台車庫を開通。 1981年(昭和56年)11月30日:ほおじろ台経由便、千葉駅 - ほおじろ台 - 小倉団地 - 公園前 - 千城台車庫系統を開設。 1988年(昭和63年)3月28日:モノレール開通に伴い、ほおじろ台経由便を東警察署、東三丁目経由に変更。モノレール駅にあわせた停留所名の改称を実施。 1998年(平成10年)4月1日:小倉団地線を千葉駅 - 御成台車庫に変更。 1999年(平成11年)12月16日:延命寺線の都賀駅・市営霊園発着便を貝塚経由に変更、祀霊都市桜木線となる。 2004年(平成16年)12月20日:祀霊都市桜木線の都賀駅発着便を小倉団地線に統合、市営霊園発着便は天神橋坂上経由に変更し都町中通り線となる。 2010年(平成22年)10月1日:都賀駅発着便の系統名を『千02』から変更。 2021年(令和3年)10月1日:『千01-1』系統を新設。 若葉区の中央部にある小倉台・千城台住宅地と千葉駅を連絡する路線は、小倉団地線、ほおじろ線、都町中通り線の3線がある。このうち本節の2線は千葉駅を出発後、桜木町交差点まで国道51号を走行するグループである。 小倉団地は、千葉市の郊外住宅団地の中では大宮団地に次いで古く、入居開始は1964年(昭和39年)である。当時は団地内に乗り入れるバス路線がなく、住民はやむを得ず国道51号線上の滑橋や大聖寺前(現在のちばフラワーバス・小倉団地入口)の停留所を利用し、長い道のりを歩いて団地に向かっていた。この不便を解消すべく、1965年と翌66年の2回にわたって住民から京成電鉄に対してバス増発の要請が行われ、これに応える格好で1966年5月より団地内への乗り入れが開始された。 乗り入れ当初の路線は、西千葉駅を起点に京成千葉駅、国道51号、滑橋を経由し、現在の小倉台一丁目停留所付近までの運行であった。その後、住宅の増加に伴い、翌1967年4月に小倉団地停留所まで路線が延長され、あわせて小倉台四丁目(現・小倉台駅)停留所が設置された。 ところで、隣接する千城台はこの頃入居が始まっているが、同住宅地への輸送は当初、この小倉団地への路線でまかなわれていた。しかし、こちらも地区内乗り入れ路線の開通に向けて関係者間での調整が重ねられたことにより、1967年(昭和42年)5月1日に千城台北町を終点とする千城台専用線が開通する運びとなった(「緑と太陽の街をもとめて・千城台住宅地」による。詳細ルート不明)。また、翌1968年(昭和43年)には小倉団地行きの最終バス(21時50分・京成千葉駅発)が千城台まで延長されている。 これ以降、昭和40年代半ば頃に至るまでの間、小倉団地ではすでに人口の定着化が進み、後発の千城台でも住宅の建設や入居が順調に進んでいた。このような状況からバス利用者の数も増加の一途を辿り、都賀駅の開業後同駅への路線が開通してもなお、利用者の8割は千葉市街方面に集中し、その輸送状況は難渋を極めていた。そこで、京成はこの状況を打開すべく、1970年5月、両団地統一経路による千城台車庫までの路線延伸を行い、同時に増車するとともにワンマン運転への切り替えを行った。 その後、昭和50年代に入ると小桜橋通りが開通し、沿線のほおじろ台では住宅地の分譲や病院の建設が進められた。これに伴い、千城台・小倉台と千葉駅を結ぶ第2ルート路線として、1981年(昭和56年)11月にほおじろ台経由便が開通した。この便は当初、西小倉を過ぎると小倉台四丁目方面に向かい、その先は51号経由便と同じルートで運行していたが、1988年(昭和63年)のモノレール開通時の改正で小倉団地非経由となって千城台への到達時間が短縮され、同時に千城台東地区を迂回運行するよう変更された。なお、この便の開設当初、運行本数は5:7の割合で51号経由便が多かったが、現在は両者がほぼ同数となっている。 1998年(平成10年)の千葉営業所移転と同時に御成台車庫担当となり、51号経由便は千城台駅から御成台車庫に至るルートとなった。一方、ほおじろ台経由便はこの改正によるルートの変更はなかった。 千01、千02ともに日中は毎時3本程度、千01の平日の千葉駅発23時30分以降は千城台駅止まりとなる。
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