宰相ビスマルク時代とは? わかりやすく解説

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宰相ビスマルク時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 14:55 UTC 版)

ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)」の記事における「宰相ビスマルク時代」の解説

1889年5月ルール地方炭鉱労働者大規模なストライキ起こした。これに対してビスマルク自由主義ブルジョワ社会主義勢力をもっと危険視するよう紛争の解決当事者任せよう考え私有財産保護のために警察軍隊投入する上のことは何もしなかった。 一方ヴィルヘルム2世事前通告なしで突然に閣議乗り込んで経営者たちを批判して労働者支持表明した5月14日にはベルリン訪れた三人工夫代表者引見し、ドイツ社会主義労働者党ドイツ社会民主党前身)の扇動にのって公共の安全を脅かす行為辞めるよう要求する一方、彼らの陳情良く耳を傾けた企業家たちに対して労働者賃金上昇応じるよう求め応じないであれば治安維持にあたらせている軍隊撤収させると脅し付けた。またこの地域軍司令官報告書読んでヴェストファーレン県(ドイツ語版知事ロベルト・エドゥアルト・フォン・ハーゲマイスター(ドイツ語版)の怠慢断じてビスマルクにその更迭命じたヴィルヘルム2世ストライキ社会主義労働者党との関連性否定し、またストライキ長引けば石炭不足し安全保障にも影響する懸念していたが、ビスマルクはこの争い期限切れ迫っている社会主義者鎮圧法更新のための社会主義勢力への攻撃材料にすることにのみ専心していた。 ビスマルク毎年か月領地帰る癖があったが、この年6月には領地帰り翌年1月までベルリン不在にした。この間ヴィルヘルム2世対ロシア強硬派のヴァルダーゼー将軍外務省参事官ホルシュタイン反ユダヤ主義者シュテッカーなど反ビスマルク派の影響強く受けるようになった。またヒンツペーター教授社会問題積極的に取り組むべきだと説いていた。ヴィルヘルム2世は、ヒンツペーター教授はじめとして労働者問題通じた識者助言者にして労働者保護勅令準備開始した。 しかしビスマルク方向性はそれとは正反対であり、彼は期限切れ迫っている社会主義者鎮圧法無期限延長法案10月帝国議会提出した1890年1月24日御前会議においてヴィルヘルム2世は再び「ドイツ企業家労働者レモンのように絞っている」事を批判し、「私は貧者の王たることを欲する」と宣言したヴィルヘルム2世社会主義者鎮圧法について追放条項削除求めてビスマルク激し論争をした。ヴィルヘルム2世ビスマルク社会主義者鎮圧法否決乗じて内乱起こそうとしていると感じ、「我が治世の初期臣民の血で染まる事を望まない」と釘を刺した1890年2月1日には日曜日労働禁止女性少年夜間労働地下労働禁止労働者保護国際会議ベルリン開催呼びかけなどの条項を含む労働者保護勅令の「二月勅令ドイツ語版)」が発せられた。保守的なビスマルクはこの勅令反発し社会問題はもはや薔薇香水解消できないと血で解決される」などと述べたビスマルクはこの勅令への副署拒否したうえ、ベルリン労働者保護国際会議開催妨害工作行った。この件でヴィルヘルム2世ビスマルク決定的な嫌悪感持ったという。 1890年2月20日帝国議会選挙ビスマルク支える「カルテル」3党(保守党帝国党国民自由党)の敗北終わったビスマルク先の帝国議会否決され社会主義鎮圧法を再度提出し、また否決実の軍制改革法案一緒に提出して議会との紛争状態を作ることでクーデタ起こすことを計画した。さらに3月2日閣議ビスマルクヴィルヘルム2世封じ込めよう1852年プロイセン閣議命令遵守閣僚たちに求めたが、これにヴィルヘルム2世激怒し3月5日ブランデンブルク州議会での演説において「私の行く手を遮る者は粉砕する」と宣言したビスマルクを切る事を決意したヴィルヘルム2世は、ビスマルク帝国議会との協調のうえでの法案成立させることを命じることで彼の企むクーデタの道を塞ぎ1890年3月18日ビスマルク辞任追いやった。ここに1862年以来プロイセン宰相1871年以来ドイツ帝国宰相であるビスマルク退任した即位前のヴィルヘルム2世ドイツ帝国建設者であるビスマルク尊敬していたが、即位後には親政に邪魔な存在となっていた。ヴィルヘルム2世は「老いた水先案内人に代わって私がドイツという新しい船の当直将校になった」と述べ、これによって社会主義者鎮圧法延長されないことが最終的に確定される同時に世界政策」と呼ばれる帝国主義的膨張政策展開されていくことになる。しかし列強既得権とぶつかるこれらの政策は、軍事力背景露骨な示威行動通して実行されロシア帝国イギリス帝国との関係を悪化させることになる。 1889年宰相オットー・フォン・ビスマルク侯爵描いた肖像画 労働者保護勅令2月勅令」を描いた挿絵 ビスマルクヴィルヘルム2世1888年

※この「宰相ビスマルク時代」の解説は、「ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)」の解説の一部です。
「宰相ビスマルク時代」を含む「ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)」の記事については、「ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)」の概要を参照ください。

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