宰相ベートマン時代
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「ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)」の記事における「宰相ベートマン時代」の解説
「ビューローブロック」崩壊後に誕生したベートマン内閣は保守党、帝国党、中央党を政府の支持政党として獲得し、「黒青ブロック」を形成した。黒はカトリック、青はプロテスタント・ユンカーを意味している。しかし1912年1月の帝国議会選挙で「黒青ブロック」は惨敗し、社民党が躍進して帝国議会第一党に躍り出た。 「黒青ブロック」は崩壊し、帝国議会と政府の距離が急速に離れる中の1913年10月、ツァーベルン事件が発生した。軍の横暴として大騒ぎになったが、宰相ベートマンは陸相エーリッヒ・フォン・ファルケンハインの圧力を受けて軍の立場を支持したが、これに対して帝国議会は保守党を除く全政党が宰相不信任を決議した。だが、ドイツ帝国においては宰相の任免権は皇帝にあり、宰相が議会の不信任決議に従う義務はない。結局ベートマンはヴィルヘルム2世の支持を得て地位を維持し、事件に関係した軍人達も処罰されることはなかった。 しかしこの件で政府と議会に大きな亀裂が生じた。 1908年11月、宰相テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
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