宰相位への野望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/23 15:38 UTC 版)
「ラグナート・ラーオ」の記事における「宰相位への野望」の解説
だが、1759年3月にアフマド・シャー・ドゥッラーニーがパンジャーブに侵攻し、1761年1月にマラーター同盟軍がパーニーパットで大敗すると、状況は一変した。半年後に宰相バーラージー・バージー・ラーオは死亡し、その息子マーダヴ・ラーオが後を継いだが、ここからラグナート・ラーオの宰相位への野望が始まるようになった。 宰相マーダヴ・ラーオとラグナート・ラーオの不和は続き、1762年8月22日にラグナート・ラーオがプネーからヴァドガーオンに去り、内乱がはじまった。だが、ラグナート・ラーオはニザーム王国から援助を受けたものの、マーダヴ・ラーオはこの内乱における戦いに勝利し、同年11月12日にラグナート・ラーオは降伏した。 その後、ラグナート・ラーオはニザーム王国が攻めてきた際に、親善を図ろうとしたが無駄に終わり、1763年8月10日にマーダヴ・ラーオがニザーム王国との戦闘で勝利し。
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