宰相へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:13 UTC 版)
紀元前490年の景公の死後、年少の公子荼(晏孺子)が斉公となり、高張と国夏が権勢の座に就いたのに伴い、田乞は彼等と親交を重ねたが、その一方で他の大夫たちに対しては両氏への反感を煽っていた。そして紀元前489年6月、田乞は大夫たちを率いて高張と国夏を攻撃して両氏を斉から追い出し、10月には晏孺子を退位させた後に暗殺する。そして、異母兄の公子陽生(悼公)を擁立して斉の宰相の座に就き、田氏の勢力を更に固めていった。 田乞の死後、家督は嫡子の田恒(史記では避諱により田常と表記)が継いだ。これ以降、田氏の勢力は斉公室を更に上回っていく。後に「釐」を諡され、田釐子と呼ばれる。
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