廃位と殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 10:13 UTC 版)
「イブラヒム (オスマン帝国)」の記事における「廃位と殺害」の解説
1648年、突如自らのハレムにいた側妾や女官、宦官ら280人を皆袋詰めにしてボスポラス海峡に投げ込むという暴挙を行った。さらに、イェニチェリ軍団への課税を試みた大宰相に対しイェニチェリが蜂起すると、ウラマーや母のキョセムまでそれに同調されてしまい廃位されて大宰相へザルパレ・アフメト・パシャともども殺された。アフメト・パシャは民衆からも怒りを買っていたため、遺体を切り刻まれ、バラバラにされた。へザルパレの意味は千個を意味している。メフメト4世が次の皇帝に即位した。 イブラヒムの治世末期にヒューマーシャーという奴隷を愛し、オスマン家の慣例に反して正式に結婚している。これも彼の奇行に数えられるが、スレイマン1世とヒュッレムの正式な結婚が同時代の人たちに眉をひそめられたのと同じく、イブラヒムの結婚に関する悪評は、中傷である可能性も考慮すべきである。
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