廃位と謎の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:55 UTC 版)
「ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)」の記事における「廃位と謎の死」の解説
1870年、普仏戦争で弟オットーが精神に異常をきたした。ルートヴィヒはますます現実から逃れ自分の世界にのめり込み、昼夜が逆転した生活を送るようになった。王は一人で食事を取り、あたかも客人が来ているかのように語っていたり、夜中にそりに乗って遊んでいたところを地元の住民に目撃されたと伝えられている。 危惧を感じたバイエルン政府はルートヴィヒ2世の廃位を計画し、1886年6月12日に彼を逮捕し廃位した。代わりに政治を執り行ったのは叔父の摂政ルイトポルト公だった。ルートヴィヒはベルク城に送られ、翌日の6月13日にシュタルンベルク湖で、医師のベルンハルト・フォン・グッデン(de:Bernhard von Gudden)と共に散歩に出た少し後で、その医師と一緒に水死体となって発見された。その死の詳細については未だ謎のままである。その知らせを受けたエリーザベト皇后は「彼は決して精神病ではありません。ただ夢を見ていただけでした」と述べている。 生前ルートヴィヒは「私が死んだらこの城(ノイシュヴァンシュタイン城)を破壊せよ」と遺言していた。それは彼が城を自分の世界の中だけに留めたいという思いからきた願いだったが、摂政ルイトポルトは城を壊さずにむしろ地元の住民に開放した。現在でも文化財として保全されバイエルン地方随一の観光資源となっている。
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