宗教的視点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 07:56 UTC 版)
エニアグラムはキリスト教界でかなり人気があるが、キリスト教の聖職者が宗教活動の一環として用いること、キリスト教的解釈を施しての利用には、キリスト教者とエニアグラム理論家の双方から批判がある。 創始者のイチャソとナランホは、イエズス会が霊的指導のためにエニアグラムを使っているということに、かなり否定的である。 イエズス会の特徴と言われているのが黙想指導(瞑想)であり、黙想などを含む霊的修行のプログラム「霊操」で、罪の概念を用いて、その人の罪の傾向について指導する。宗教的な枠の中で罪の概念と関連させ指導されるため、イチャソは、特定の宗教の宗派のために使うと意味が変わってしまい、本来の姿を歪めると考え、キリスト教での使用に反対しており、ナランホもカトリック系のグループの解釈については否定的である。 クリスチャンにとって、エニアグラムの実践は信仰を揺るがせる面があるという意見がある。エニアグラムの実践は、自分の欠点に愛情を込めて取り組み、自身の中に最高のものを見出すための導きとして扱うことであるが、あるクリスチャンのエニアグラムのコーチは、欠点とは本質的な悪の兆候ではなく、その人が持っているギフトの影で本質的に良きものであり、その良きものを取り戻すのだと語っている。こうした考えは正統派キリスト教の根幹にある原罪と、救いを求め救世主を待望する思想とはかけ離れている。カルヴァン主義の予定説では魂の救済は人間の意志によるのではなく神によって定められているとされるが、エニアグラムは内省と受容による自己改善を主張する。エニアグラムの実践は、カルヴァン主義の思想への挑戦となっており、キリスト教徒の間で流行したが、当然波風を立たせ、キリスト教関係者からの批判も少なくない。 2000年には、米国カトリック司教協議会の教義委員会が、司教が教区でエニアグラムを使用する際の評価材料として、エニアグラムの起源に関する報告書の草案を作成した。報告書は、エニアグラムとローマ・カトリックの交わりに対する見解として、潜在的な懸念事項があり精査が必要であると述べ、「エニアグラム・システムは伝統的なキリスト教の教義や霊性とはほとんど共有するものがないが、現代科学の方法や基準ともほとんど共有するものがない…証明責任はエニアグラムの支持者にあり、彼らは自身の主張に関する科学的証拠を提供しなければならない。」と述べている。。 これは、一部のイエズス会や他の修道会のメンバーが、エニアグラム性格論にキリスト教的な理解を加えて教えていることに対するものであり、2003年のバチカン文書「ニューエイジについてのキリスト教的考察(英語版)」では、エニアグラムが「霊的成長の手段として用いられる場合、キリスト教信仰の教義と生活において疑義をもたらす」と述べている。Mediumが運営するForgeの記者は、クリスチャンの道徳は善悪に明確な境界線を引く厳格なものであり、診断を出発点に自分自身について考察するこのアプローチは、そこからの著しい逸脱であると述べている。 近年の若いクリスチャンの間での流行について、クリスチャンの情報サイトTheology Think Tankのブランドン・メディーナは、アメリカではメガチャーチが勢力を拡大しているが、若者はその説教の娯楽性に安っぽさ、偽物感を覚えて幻滅して離れ、本当にリアルで超越的なものを求め、エニアグラムに辿り着く人がいるのではないかと分析している。流行の契機となったスザーナ・スタビレは、若いクリスチャンは明白に聖書ではないものを取り入れることを恐れておらず、また、親世代のように「他者」を恐れることがないと語っている。 ブランドン・メディーナは、エニアグラムの台頭は、キリスト教の一部がLGBTQコミュニティや他の疎外されたグループのための場所を作ろうとし始めた時期と被るが、偶然ではなく、聖書を文字通り解釈し道徳的な線引きをすることの代償の大きさを、多くの人々が目の当たりにし、恥や裁きを受容と自己愛に置き換えるシステムを魅力的な救済策と感じたためであると分析している。
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