妻神坂雅子の陳述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:44 UTC 版)
私は神坂と六年間一緒に暮らしてきたが、人格的な問題を疑ったことはない。業務上のことも婦人関係も知らないが、家庭における主人を通して、側面的な主人の弁明をすることはできる。 私は女子大生時代に労働問題に関心を持ち、卒業と同時に共同印刷会社に就職し、事務を担当していたが、その頃、満鉄本社の調査部で出版担当の神坂と知り合い、結婚した。その三ヶ月後に自発的に仕事をやめ、翌年には子供も生まれ、仕事どころではなくなった。 貧しい暮らしであったが、神坂を不満に思ったことはなく、自分の幸福を疑ったことはない。日本文化の編集長になってから、神坂は鞄の中に一万円を持ち歩いていたが、月給だけは一銭も手つかずで給料袋のまま毎月渡してくれていた。今村先生との交際のために、二三度家を空けることはあったが、翌朝にはすぐに帰ってきていた。今村のことは大変世話になったと感謝していた。 会合が多いため、1週間のうち4日位は夜更けて帰るような状態で、まず子供の寝顏を見て、それから畳の上に寝そべっていた。自分が寝巻きに着替えさせることもあり、しばしば自分をいたわる言葉を伝えてくれていた。正直に仕事をしすぎるのではないか、もう少しからだを大事にするように、と言うと、自分がやらなければ誰もやる人がいない、社長は雑誌は素人で、外部との連絡は自分以外に任せられる人間がいない。自分が「東西文化」を支えており、「日本文化」に劣らない大雑誌にしたいと思っている、と語っていた。深夜二時、三時に机に向かって校正をしたり、編集プランを練ったりしていた。そんな真面目な雑誌の会計をごまかすことがあり得るのだろうか。 神坂は金銭の欲望の少ない人間だ。服装にも構わないようなところがあり、聖書の「汝ら、おのが宝物を地に積むな」が信条だった。社のお金を使い込んだのなら、妻子のところへでも持ち帰るのが常識だが、そういうことは自分の家計簿には一切なく、同じ金額を別の婦人に持ち帰ることはあり得ない。どちらかと言えば、女性を嫌悪する方だった。 同じ雑誌の社長の遠縁にあたる永井さち子という記者には困らされていた。仕事の邪魔ばかりしており、自分を誘惑したこともある、「神坂さんは自分ばかり叱る」と泣いたらしい。神坂が風邪をひいて五六日社を休んだとき、永井さち子がお見舞いに来たことがあるが、神坂は上にあげず、果物籠も受けとらずに押し戻した。治癒して出社したとき、神坂は日曜でもないのにお見舞いというよけいなことはしないで、編集の仕事をしてほしいと公然と語ったところ、今度は清水という人の原稿を紛失したという。神坂は激怒し、辞表を書かせたが、社長が永井をかばって、四五日後に復帰し、それを根にもって、神坂に復讐しようとしたようである。土曜日の晩に永井さち子が自分を誘惑しても思い通りにならないので、同僚の大森を誘惑したようである。日曜にも二人で腕を組んで出社していた。それを見られた永井さち子は、神坂の悪口を捏造し、どこかの女性を連れていって、編集室に泊まっている現場を見た、仕事場を汚されたという告げ口を社長にした。馬鹿な奴だ、と神坂は笑っていた。 梅原は以前は今村徹雄の秘書か助手であった二十五歳の女性で、今村が執念深いので、偽名でアパートに転居し、神坂はそれを手伝っている。梅原は北海道で大農場をしている資産家の娘で、津田英学塾を卒業しており、英語が達者だった。神坂は「東西文化」の編集に彼女の力を使いたかったが、今村との関係で、実現しなかった。そのため、外国の文化ニュースなどを梅原の自宅の仕事として依頼し、毎月二三頁の翻訳の原稿を書いて貰っていた。学生時代から胸を病んでおり、昨年末から悪化し、悲観的になっており、故郷へ帰るのを嫌がっていた。母親が後妻で、うまが合わなかったようでもある。それが自殺の原因ではないのか。二三ヶ月前から死にたいと言っていた。事件の時、夜の9時頃、突然アパートに電話がかかってきて、神坂が毒を飲んだという知らせがあり、半信半疑のまま病院へ駆けつけたが、梅原は胸の状況がひどかったため、すぐに息を引き取った。神坂はすぐに元気になっており、他人に親切にするものではない、もう少しで死ぬところだったと言って、苦笑していた。毒物は医師の話では、催眠剤の類で、酒に溶かしたもので、梅原は一気にのみ、神坂は半分ほど飲んでから味がおかしいと中止した。ひどい話だが、梅原の気持ちも分かる、よほど淋しかったのだろう、と神坂は語っていた。 音楽家の戸川智子のことは何も知らない。永井さんか誰かが拵えた噂ばなしではないか。その日の出来事をあれこれ細かく報告する神坂の正直な性格からして、秘密にできただろうか。神坂は自分の純真な気持ちと正直さに頼りすぎていたのではないのだろうか。世間は複雑で、他人は純真ではない。雑誌を大切にする神坂の行動を永井や社長は自分の感情で逆に憎んだり、陥れたりしたのではないか。梅原の能力を評価したことを、今村は愛人を奪われたように解釈したのではないか。銀座の行きつけの酒場で、今村から罵倒されたことで、神坂はわけがわからないと悔しがっていた。 それからほどなくして、業務上横領問題が起こったが、永井と今村の怨みが、三景書房の社長を味方につけ、神坂を陥れようとした陰謀のような気がする。神坂は広告料収入を編集長としての交際費や雑費にあてることで、社長の諒解を得ていたが、その証拠はなく、社長の考え一つで横領を認めることができる。そのことを考えると、自分は悔しくて涙がでる。今村・社長・永井のやりかたは裏に廻って策を弄し、犯罪者の汚名を着せるという点で卑劣だ。神坂は独立を口にし、自分も同意したが、いちおうは社長と今村に頭を下げ、諒解してもらって、社をやめるようにしないといけない、と忠告した。神坂は告訴されて社を休むようになってからも、自分の遠縁の叔母で、実業家の52歳の未亡人に相談に憩おうとしていたし、満鉄時代の友人で、宝石の売買で儲けた人などを頼って、資金の融通を相談していた。 今回の件は、三景書房の社長のトリックで、神坂を退社させ、いちおう告訴し、無条件退社をするなら示談にしようという腹づもりではないのか。七十万円の損失というが、神坂が使った広告料は六七万円のもので、紙の配給切符は横流しせず、全部社長に渡している。このような告訴の結果、神坂が犯罪者になるのなら、私は世間の正義を疑わざるを得ない。神坂が潔白だと私は妻として信じる。
※この「妻神坂雅子の陳述」の解説は、「神坂四郎の犯罪」の解説の一部です。
「妻神坂雅子の陳述」を含む「神坂四郎の犯罪」の記事については、「神坂四郎の犯罪」の概要を参照ください。
- 妻神坂雅子の陳述のページへのリンク