妻木電気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 16:03 UTC 版)
多治見町の南東に位置する土岐郡妻木村(1931年より妻木町、現・土岐市)は、1910年の段階では多治見電灯所の供給区域に含まれ、同社により電灯が取り付けられていたが、1912年(大正元年)11月に妻木電気株式会社が妻木村およびその両隣の土岐郡笠原村・鶴里村を供給区域とする電気事業の許可を取得し、多治見電灯所の供給区域からは外れた。その妻木電気は翌1913年(大正2年)4月11日付で妻木村に設立。設立時の資本金は5万円で、取締役には妻木村の那須金三郎や多治見町の加藤喜平など土岐郡内の人物が名を連ねる。 1914年(大正3年)10月10日、妻木電気は村内の妻木川(庄内川水系)に設けた出力48キロワットの水力発電所を電源に開業した。次いで1926年(大正15年)4月笠原町滝呂に出力100キロワットのガス力発電所を完成させる。ただしこの滝呂予備火力発電所は1934年(昭和9年)6月に廃止されており、中部合同電気統合前の1937年末時点での自社電源は妻木川発電所に限られ、東邦電力からの受電高750キロワットよりも小さい。同年8月末時点の供給成績は電灯8902灯(別に休灯20灯)・電力462.0キロワット・電熱その他16.0キロワットであった。なお1932年7月に妻木町のうち大平集落が中部電力(岡崎)区域に移行しており、供給区域は土岐郡妻木町の一部および笠原町・鶴里村という形に変わった。 経営面では2度の増資が行われた。まず1921年(大正10年)1月5万円の増資が決議される。次いで1930年6月一挙に240万円の増資が決議され、資本金250万円の会社となった。この間の1929年(昭和4年)4月に岡崎電灯の傘下に入っており、1930年8月27日付で本店も妻木村から中部電力(岡崎)のある岡崎市へと移転した。中部電力傘下時代は証券保有会社としての機能を持たされており、中部電力の完全子会社という立場にありながら同社の大株主でもあった。1935年(昭和10年)5月、減資により資本金200万円となる。次いで中部電力が東邦電力に合併された直後の1937年9月17日付で本店を岡崎から東京市麹町区(現・千代田区)へと移転した
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