ガス力発電所
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松阪電気はガス力(内燃力)発電所も運転した。発電所名は新道発電所(「第二発電所」とも)と第三発電所という。発電所名は別だがどちらも飯南郡花岡村大字大黒田(現・松阪市大黒田町)に位置した。 新道発電所は1914年(大正3年)3月に運転を開始した。松阪地区の供給力不足を補うため、受電切り替えによって不要となった遠江支社発電所の機械・建物一切を移設して建設されたものである。一方第三発電所は1919年(大正8年)2月に完成した。両発電所とも出力75キロワットであり、原動機として吸入ガス機関を1台持ち、イギリス製発電機を1台ずつ備える。発生電力の周波数は鍬形発電所と同様50ヘルツに設定されている。 新道発電所については三重合同電気発足直前の1922年4月に廃止された。一方第三発電所は三重合同電気時代の1924年6月に廃止届が出されている。
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ガス力発電所
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巌倉水電は水力発電所に加えてガス力(内燃力)発電所も運転していた。発電所名は第二発電所といい、阿山郡小田村字上沢ノ谷(現・伊賀市小田町)に位置した。 逓信省の資料によると、1915年度下期から第二発電所の運転が確認できる。発電所出力は当初75キロワット、1919年末時点では225キロワット。原動機として吸入ガス機関を2台、大阪電灯製75キロワット発電機・芝浦製作所製150キロワット発電機を各1台備えた。発生電力の周波数は巌倉発電所と同じく60ヘルツの設定である。 三重合同電気時代の1924年(大正13年)に送電線新設に伴い発電所構内に上野変電所が設置されると運転休止状態となり、1928年(昭和3年)6月に廃止された。
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