妻誘拐事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 07:23 UTC 版)
「エメリー1世・ド・シャテルロー」の記事における「妻誘拐事件」の解説
1115年、結婚生活7年経った頃、妻アモーベルジュがアキテーヌ公ギヨーム9世によって寝室から「誘拐」された。アモーベルジュはギヨーム9世が治めるポワティエ伯領の城のモーベルジョン塔に連れて行かれ、囲われた。そのため、アモーベルジュは「ダンジュルーズ」(ポワトゥー語でダンジュローザ Dangerosa, 危険な女)、あるいは住居モーベルジョン塔にちなんで「モーベルジョンヌ」と呼ばれた。 このような女性の誘拐は、中世ヨーロッパの貴族社会ではかなり一般的であった。しかし、この一件に関してはアモーベルジュが自ら望んでギヨーム9世に誘拐されたという説も存在する。アキテーヌ公は、その生前の業績が残った知られている最初のトルバドゥールであり、当時の女性から大層人気があり、それゆえに多くの女性問題を抱えていることで知られていた。 アモーベルジュことダンジュルーズは、以降残りの余生を愛妾としてギヨーム9世に寄り添うことを選んだ。この件に関し、エメリーによる抗議の記録はない。それはエメリーが有力で激しやすい君主の怒りを恐れていたため、エメリーが泣き寝入りする形で事態が収束したとされる。 「誘拐」と不倫に対して訴訟を起こしたのは、アキテーヌ公妃のフィリッパ・ド・トゥールーズである。ダンジュルーズの双方はその所業により、教皇から破門された。 ギヨーム9世は彼の財力と権力を使い(おそらく教皇に多額の金銭などを寄付したとされる)、最終的に教皇と和解し、カトリック教会に破門を撤回させた。 1121年にエメリー1世とダンジュルーズの娘アエノールは、ギヨーム9世の嗣子であるアキテーヌ公ギヨーム10世と結婚した。この縁組はダンジュローズに促されて生じたとされる。 歴史家の見解でも、アキテーヌ公ほどの権力者が家臣の娘と自分の嫡男を結婚させる利点が特になく、他の理由に見当が付かない。それだけでなく、後のギヨーム10世から見ればアエノールは、母のフィリッパを追い詰めた、憎き父の愛妾の娘であった。 そのような理由にもかかわらず、孫娘アエノールの結婚はアリエノール・ダキテーヌの誕生につながり、エメリー1世はヨーロッパで最も有名な君主・貴族たちの先祖となった。
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