ポワティエ伯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/02 06:19 UTC 版)
815年、皇帝ルートヴィヒ1世はポワティエ伯領を家臣のベルナール1世に与え、ベルナールは少なくとも825年まで伯位にあった。828年にはエメノンがポワティエ伯に任ぜられた。エメノンはギレム家の一員とみられるが、どのような関係かは議論が分かれている。アロームの息子とも、アロームの子とされるポワティエ伯ベルナール1世の息子とも言われている。エメノンの一族はポワティエおよびトロワを本拠地としようとしたが、894年にブルゴーニュ公リシャールによりトロワを奪われ、902年にはポワティエ家のエブル・マンゼによりポワティエを奪われた。
※この「ポワティエ伯」の解説は、「ギレム家」の解説の一部です。
「ポワティエ伯」を含む「ギレム家」の記事については、「ギレム家」の概要を参照ください。
ポワティエ伯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/02 06:19 UTC 版)
破線は推定。 アローム(アダレルム) ベルナール1世ポワティエ伯 サンシー(ガスコーニュ公サンシュ1世娘) エメノンポワティエ伯アングレーム伯ペリゴール伯 テュルピオンアングレーム伯 ベルナール2世ポワティエ伯 アルノーガスコーニュ公 アデマール1世(エマール)ポワティエ伯アングレーム伯 サンシー(タイユフェル家ペリゴール伯ギヨーム1世娘) アダレルムトロワ伯 ベルナール3世セプティマニア辺境伯 エメノン
※この「ポワティエ伯」の解説は、「ギレム家」の解説の一部です。
「ポワティエ伯」を含む「ギレム家」の記事については、「ギレム家」の概要を参照ください。
- ポワティエ伯のページへのリンク