女流3級になるまで
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「カロリーナ・ステチェンスカ」の記事における「女流3級になるまで」の解説
2008年、自身が愛読していたポーランド語に翻訳された『NARUTO -ナルト-』の登場人物奈良シカマルが指していた将棋について、チェスとは違い相手の駒を取ると自分の駒にできるのはなぜかと不思議に思い、インターネットで調べたのがきっかけで将棋に興味をもった。それから、下校後にインターネット将棋対戦サイト「81Dojo」で将棋を指すなど、1日5時間勉強した。「81Dojo」で彼女の指し手を見た女流棋士の北尾まどかは驚いたという。 母国にいた頃は、将棋人口はほとんど無いために、将棋をするために友人と将棋クラブを作り、カフェなどで対局を重ねていたが、その時は将棋盤など入手できず、木製のワイン箱を代用将棋盤にし、また駒は紙製の手製の駒で賄っていた。 2011年、フランスで行われた国際将棋フェスティバルに出場し、女性では最高成績の4位となった。 2012年5月19日、海外招待選手として出場した第2期女流王座戦一次予選1回戦で女流棋士の高群佐知子を破り、女流棋士に初めて勝利した外国籍のアマチュア女性選手となった。 2013年5月18日、第3期女流王座戦一次予選1回戦で女流棋士の鹿野圭生を破り、対女流棋士2勝目を挙げた。 8日後の5月26日、研修会を受験。2回の例会で8局行われる試験の1回目で、結果は1勝3敗だった。6月23日、研修会試験の2回目を行った。結果は2勝2敗で、8局の結果は3勝5敗となり、研修会のC2クラスに合格した。これにより、外国籍の女性として初の研修会入会者となった。同年10月来日。 2014年7月、ハンガリーのブダペストで開催されたヨーロッパ将棋選手権2014において、ヨーロッパチャンピオンとワールドオープンチャンピオンの両部門をダブル制覇した。 2015年、第5期女流王座戦でアマチュア予選東日本大会を5連勝で通過し、1次予選では相川春香と伊奈川愛菓の女流棋士を降して2次予選に進出した。本戦入りすれば女流2級でのプロ入り権利を得られるところであったが、6月25日の女流王座戦2次予選決勝で中井広恵に敗れ、あと一歩のところで本戦入りとプロ入り権利を逃す。しかし3日後の6月28日、関東研修会例会で3勝1敗とし、直近9勝3敗の成績として、外国人で初めてとなる女流3級の資格を獲得。その後、資格申請を行い、同年10月1日付で関東所属の女流棋士3級として、将棋界初の外国人プロとなった。2年間で女流2級に昇級すると正式に女流棋士と認定される。 詳細は「女流棋士 (将棋)#女流棋士になる条件」を参照
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女流3級になるまで
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関西将棋会館の近くで生まれ育ち、小学六年生の時に、アマ強豪の祖父に将棋会館道場で将棋の手ほどきを受ける。それから関西将棋会館の子供スクールに2年ほど通ったが、一度将棋から離れる。 高校一年生のときはテニス部に入部したが、なかなか上達せず、将棋が練習で上達したことを思い出し、テニス部を辞めて、高校二年生から本格的に将棋に打ち込む。 2003年度後期に女流棋士の育成機関である女流育成会に入会。2009年より女流棋士になるための制度が変わったため、同年4月に関西研修会のD1クラスに移った(C1クラス昇級で女流3級になる)。研修会入会後は好調で、すぐ研修会C2クラスに昇級し、研修会入会から半年も経たないうちに女流3級資格取得(C1クラス昇級)まであと2勝のチャンスとなった。しかし、そのチャンスを逃すとスランプに陥り、降級の危機に繰り返し陥るようになって、4回目の降級危機の一番で敗れて降級した。その後、少しずつ調子を取り戻してC2クラスに復帰するが、年齢制限があって、その頃にはもうあと1年しかない苦しい状況だった。しかし、研修会入会から4年10ヶ月、2014年1月12日に何とかC1クラスに昇級して、29歳で女流3級資格を取得した。資格申請を以って4月1日付での女流3級が内定し、2年間で女流2級に昇級すると正式に女流棋士と認定されることとなった。 詳細は「女流棋士_(将棋)#女流3級から女流2級への昇級」を参照
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女流3級になるまで
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2008年、14歳で女流育成会に入会。前期は4勝12敗、後期は6勝12敗と振るわずに終了。女流育成会廃止に伴い、2009年に関西研修会にE2クラスから参加して女流3級資格取得条件であるC1クラス昇級を目指すこととなった。研修会の例会には高知から大阪まで深夜バスで往復しており、体力的に厳しかったという。精神面でも課題があり、せっかくの勝ち将棋を逆転されることが多く、なかなか昇級できなかった。 2011年12月、第4回女子アマ王位戦で準優勝。以降、2015年の第8回まで四国大会を勝ち抜き全国大会に毎回出場する。2012年、第2期女流王座戦のアマ西日本予選大会を勝ち抜き予選に出場。2014年2月、第6回女子アマ王位戦で準優勝。そして、2015年12月、第8回女子アマ王位戦で初優勝。 2016年6月26日に関西研修会でC1昇級し、入会して7年で女流3級の資格を得た。同年7月9日、第10期マイナビ女子オープンチャレンジマッチに出場し、野田澤彩乃らを破って勝ち上がり、予選出場権を得た。8月13日に同予選1回戦で中井広恵に勝つ金星を挙げたものの、予選決勝(2回戦)では上田初美に敗れて本戦出場を逃した。そして、LPSAへの女流棋士資格申請書提出をもって、8月15日付でLPSA所属の女流棋士3級となった。 詳細は「女流棋士_(将棋)#研修会から女流3級を経て女流棋士へ(2009年度~2017年度)」を参照
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