変の報せと各将とは? わかりやすく解説

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変の報せと各将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:34 UTC 版)

中国大返し」の記事における「変の報せと各将」の解説

詳細は「四国攻め」、「魚津城の戦い」、「伊賀越え」、および「天正壬午の乱」を参照 信長の死は、各地伝えられた。 丹羽長秀神戸信孝と共に四国平定の任を負い副将三好康長蜂屋頼隆津田信澄と共に大坂及び堺で渡海作戦とりかかっていた。5月29日、信孝軍は摂津住吉着陣し、また津田丹羽勢は大坂蜂屋勢は和泉岸和田集結して当初6月2日予定渡海備えていた。変報6月2日午前伝わったとみられる津田信澄信長の弟織田信行の子で、近江高島大溝城滋賀県高島市)の城主であったが、光秀の婿であったため内通疑われ6月5日、信孝と長秀の軍勢襲撃され野田城大阪市福島区)で信孝家臣の峰竹右衛門山路左衛門上田重安によって殺害された。京に近い大坂・堺にあった長秀と信孝は、光秀を討つには最も有利な位置にあったが、逆に緘口令徹底できなかったため兵の多く逃亡しやむをえず守り固めて羽柴軍の到着を待つ形となった柴田勝家は、北陸戦線にあって上杉景勝支配する越中魚津城富山県魚津市)を攻略中であり、6月3日午前6時魚津城陥落させ、その直後余勢を駆って越後向かおうとしていた矢先変報届いた勝家後事前田利家佐々成政らに託し直ち魚津から船に乗って越中富山経て居城越前北庄城福井県福井市)に帰り光秀討伐準備開始した光秀征討先鋒として養子であった甥の柴田勝豊従兄弟柴田勝政出陣させ、6月18日には近江長浜滋賀県長浜市)まで進出させた が、その時既に光秀秀吉によって討滅させられ後であった。 徳川家康は、甲州征伐の際に駿河拝領した礼を述べるため武田旧臣穴山信君)を伴って5月29日安土城上って信長面会し信長勧めにより京都や堺を遊覧であった。堺では代官松井友閑豪商達の饗応受けていたが、6月2日午前のうちに本能寺の変報を聞くと、上洛称してすぐさま堺を出奔しその日は近江信楽滋賀県甲賀市)に宿泊した家康別行動取った穴山梅雪山城土民殺された)。3日朝、伊賀越えの道より伊賀入り領国三河への最短距離となる間道抜けて伊勢加太三重県亀山市)を通過して伊勢白子三重県鈴鹿市)から船に乗り6月4日には三河大浜愛知県碧南市)に到着して本拠岡崎城愛知県岡崎市にたどりついた。家康もまた光秀攻めめざして熱田神宮名古屋市熱田区)まで進んだが間に合わず一転して甲斐信濃攻め着手し短期間領国拡大させた(天正壬午の乱)。 滝川一益上野厩橋城群馬県前橋市)を本拠として北条氏対峙しながら東国の新領土経営奮闘しており、変の報せ到着したのも大幅に遅れた同じく武田領を支配していた織田家家臣のうち、河尻秀隆甲斐に留まっていた(のちに本能寺の変受けた武田遺臣らによる蜂起敗死)。森長可信濃におり、のちに森氏本領美濃脱出した織田信雄信長次男)は、本領伊勢松ヶ島城三重県松阪市)にいた。しかし、その兵の大部分は信孝の四国征討軍に従軍していたので、信雄の周囲には僅かな兵しかなく、伊勢より動くことはできなかった。 以上のように、本能寺の変起こった当時信長軍団師団長ともいうべき諸将光秀除いて殆どが遠方出払い、あるいは、戦争準備最中であり、同盟者であった家康僅かな供回り連れての上遊覧途上にあって畿内中心部一種戦力空白に近い状況であった加えて光秀組下として行動ともにすることの多かった丹後細川藤孝忠興父子大和筒井順慶摂津池田恒興中川清秀高山右近らは国元中国攻めの軍を準備中であった本能寺の変報が各地伝えられると共に光秀与同する者も現れたが、日和見的な態度をとる者も多かったこうした情勢は、しばしば織田諸将行動牽制させることともなっていた。

※この「変の報せと各将」の解説は、「中国大返し」の解説の一部です。
「変の報せと各将」を含む「中国大返し」の記事については、「中国大返し」の概要を参照ください。

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