国見
『古事記』上巻 イザナキ・イザナミ2神が天の浮橋に立ち、天の沼矛をさし下ろして、クラゲのごとく漂う国土を作り固めた。その後アメノオシホミミが天の浮橋から地上を見て、「葦原の中つ国は騒乱状態である」とアマテラスに報告した。そこで幾柱かの神々が降下し、葦原の中つ国を平定した。
『日本書紀』巻3神武天皇31年 昔、ニギハヤヒノミコトが天磐船(アマノイハフネ)に乗って大空を飛び廻り、日本の国土を見下ろして天降った。そして、この国を「そらみつ日本国(やまとのくに)」と名づけた〔*ニギハヤヒノミコトは、神武天皇の東征より以前に、天から大和地方に降りて来た〕。
*神が天の王座に腰かけ、下界を見渡す→〔赤ん坊〕5の『失楽園』(ミルトン)第3巻・〔椅子〕7の『天国へ行った仕立て屋さん』(グリム)KHM35。
『日本書紀』巻3神武天皇31年 夏4月1日、神武天皇は腋上のホホマの丘に登って国土を望見し、「狭い国だが、蜻蛉(あきつ)が交尾する姿のように山々が連なっている国だ」と言った。これによって初めて秋津洲(あきつしま)の名ができた。
『日本書紀』巻11仁徳天皇4年~7年 4年春2月6日、仁徳天皇は「高殿に登って望見すると、炊煙が見られない。百姓が窮乏しているのだ」と詔した。3月21日、天皇は「今後3年間、課役を免ずる」と詔し、以後、自身もきわめて質素な暮らしをした。7年夏4月1日、天皇が高殿に登って一望すると、煙が盛んに上がり、民の暮らしの豊かになったことが知られた〔*『古事記』下巻では、天皇は高山に登って四方の国を見た、と記す〕→〔雨〕5b。
『日本書紀』巻8仲哀天皇8年9月 神が仲哀天皇の后(=神功皇后)に乗り移り、「私を祭るならば、海の彼方にある金銀財宝豊かな新羅国が服属するだろう」と告げる。仲哀天皇は高い丘に登って遠くを望むが、海しか見えなかったので、「国などない」と神に抗弁する。神は「私が天上から明らかに見下ろしている国を、なぜ『ない』と言うのか」と怒る〔*翌9年2月5日、天皇は急病になり、6日に崩御された。52歳だった。
*→〔琴〕1の『古事記』中巻の類話では、「神の国見」の記述がない。
『古事記』下巻(雄略天皇) 雄略天皇が河内に行幸して山に登り、国見をすると、志幾の大縣主の家が屋根の上に高く堅魚木を上げて、天皇の宮殿に似せて造ってあった。天皇は怒り、その家を焼こうとしたので、大縣主は恐れて謝罪し、白犬を献上した。
『三国遺事』巻1「奇異」第1・第四脱解王 脱解王は少年の時、吐含山に登って町を望見し、大臣瓠公の屋敷の辺りが住むに適している、と考えた。脱解は、瓠公の屋敷近くに炭をこっそり埋め、「ここは私の祖先の土地だから、返して欲しい」と要求した。「祖先は鍛冶屋だった。地面を掘ればわかる」という脱解の言葉どおり、掘ってみると炭が出てきた。脱解の主張は認められ、彼は瓠公の屋敷を手に入れた。
『三国史記』巻23「百済本紀」第1・第1代始祖温祚王前紀 朱蒙の2人の息子が、住むべき国を求めて旅に出る。漢山の地にいたり、負児嶽に登って居住地を望み見た。兄の沸流は海浜に住むことにし、弟の温祚は漢山の慰礼城に都を定めた。海浜は土地が湿り、水が塩からくて、住みづらかった。慰礼城は土地柄も良く、人々の暮らしは安泰だった。それを知った沸流は、恥じて死んだ。
★6a.帝王ではなく大泥棒が、山ではなく楼上から、都の春景色を眺める。
『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』「南禅寺山門の場」 春の夕暮れ、石川五右衛門が南禅寺山門の楼上に登り、「絶景かな、絶景かな」と、都の花盛りを愛でる。そこへ鷹が、明国将軍・宋蘇卿の遺書を運び、石川五右衛門はそれを読んで、自らが宋蘇卿の子であること・真柴久吉が父の敵であることを知る。その時、山門の下に真柴久吉が現れ、石川五右衛門と真柴久吉はにらみ合う。
★6b.ビルの屋上から下を見おろすだけでも、人格改造ができる。
『笑ゥせぇるすまん』(藤子不二雄A)「見おろす男」 卑屈な性格のサラリーマン宇和目和夫が、喪黒福造に勧められ、ビルの屋上の小屋で1週間暮らす。毎日下界を見おろすうちに、宇和目は自分に自信を持つようになり、会社では、以前と違った堂々たる態度を示して、皆から一目置かれる。しかし帰宅して妻から一喝されると、たちまち宇和目はもとの卑屈な人格に戻り、「ごめんなさい、ごめんなさい」とあやまり続けた。
『神曲』(ダンテ)「天国篇」第22歌 「私(ダンテ)」はベアトリーチェに導かれて地上を離れ、月天・水星天・金星天・太陽天・火星天・木星天・土星天と、しだいに天界の高みに昇って行く。恒星天まで到った時、ベアトリーチェは「さらに原動天・至高天へと進む前に、下方を見てみよ」と言う。「私」は振り返って、7つの天球とその彼方の地球を見おろす。地球の小さな憐れなさまに、「私」は微笑した。
*『無門関』(慧開)20「大力量人」の頌(じゅ)に、「低頭俯視四禅天(かうべをたれてふしてみるしぜんてん)」の句がある。天界を、さらに高い所から見下ろすのである。
『仙境異聞』(平田篤胤)下「仙童寅吉物語」2 天狗界で修行した寅吉少年は、大空から国土を見たことがあった。少し飛び上がると、海川・野山・人の往来が見え、国土はたいへん広く、丸く見えた。高く上がると、むらむらとうす青く網目を引きめぐらしたように見えた。さらに上昇し、星のある辺まで行って国土を見ると、月よりもよほど大きく、光って見えた。
『荘子』「逍遥遊篇」第1 大空の青色は、本当の色だろうか。遠く隔たって限りがないから、青く見えるのだろうか。大鳳はつむじ風に羽ばたいて、9万里の高さに舞い上がる。大鳳がその高さから見下ろす時、人間が空を見るように、下界も青く見えているに違いない。
『ユング自伝』10「幻像」 1944年の初め、68歳の「私(ユング)」は重病で危篤に陥り、宇宙の高みからインド・ヒマラヤ・アラビアなどを見下ろす幻像を見た。地球全体は視野の中に入らなかったが、青い光に照らされて、地球の球形の輪郭が銀色に輝いていた。これは、ほぼ高度1500キロメートルからの展望に相当することが、後にわかった。その眺めは、「私」が今までに見た光景の中でもっとも美しいものだった。
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