先進技術や資金獲得への取り組み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:48 UTC 版)
「チーム・ロータス」の記事における「先進技術や資金獲得への取り組み」の解説
ロータスはF1を含むレースに対して様々な試みを行っている。特にF1においては先進的な試みを次々と行っておりその後のレースシーンに重大な影響を与えている。このことは3000cc時代に入り登場したフォード・コスワース・DFVエンジンという極めて安定したエンジンが供給されていた時代があったことも影響しているが、DFV自体がロータス49に合わせて開発されたエンジンである。 F1においてロータスが先駆けになった項目は次のようなものがある。 1962年の25でバスタブ型のモノコック構造を導入した。アルミシートをリベット留めにより組み立てたモノコックシャーシはすでに前例があったが、効果的なバルクヘッドの配置や断面2次モーメントを曲げモーメント線図に沿って徐変させる構成など、25はツインチューブ・モノコック構造の決定版と言え、その後シングルスキン・モノコック(77)が登場するまで、シングルシータのレース用シャシの基本構造として、多くのレーシングカーデザイナに模倣・改良され続けた。 1967年のF1マシン43で、従来までのエンジンを車体(シャーシ)にのせるという常識を覆し、エンジン自体をシート後方のリヤバルクヘッドに直接固定し、モノコックシャーシの一部とする設計を採用した。1954年のランチア・D50をはじめ、エンジンを車体の強度部材として用いる設計は、すでに多くの前例があったが、エンジンのみを車体後部の強度部材とする設計は、この43が初めてであった。43に採用されたBRM H16気筒エンジンは1500ccのV型8気筒を180度 V型に直して2段積みしたものであり、ブロック剛性が十分に高かった点も、この設計を採用するきっかけとなった。 車体の塗装はナショナルカラー(チームが所属する国別の塗装色)とされていたのだが、スポンサー・カラーを登場させた(ゴールドリーフ、JPS、キャメル)。このことがきっかけとなりF1は走る広告塔の異名をとるようになる。 1969年の63において、4輪駆動を採用した。これは1968年のインディ500マイルレース用マシン、56の技術の応用である。56には72で完成するクサビ型ボディの萌芽も見られる。56はガスタービンエンジンの高出力もあってインディ優勝の寸前まで行ったが、63は重量の重さや癖の強い操縦性のため成功していない。 1970年72は、車体の先端にラジエターを置く配置をやめて、サイドラジエター形式を採用した。また従来のフォーミュラカーがいわゆる葉巻型の円筒形ボディだったのに対し、ボディ全体でダウンフォースを生み出せるよう前方が尖ったクサビ型のデザインを採用した(サイドラジエターで可能になった)。 1974年、76に於いて、電磁クラッチによるセミオートマチック変速を採用。1978年の79においてはロータス設計、ゲトラグ制作のクラッチレス変速ミッションを開発初期にトライ。ロータスは1957年の12の「Z型ゲート」以来、度々内製のシーケンシャルやクラッチレスなどの変速システムをトライして来たが、しかし一度も成功していない。これは組織内に変速機専門の研究・実験部門を持たなかった点が大きいと考えられている。12の変速機の改良作業担当エンジニアは、後にコスワース社を興し、「奇跡のエンジンデザイナー」と評される[要出典]事になるキース・ダックワース(当時は未だ大学生)である。 1976年の77にシングルスキン・モノコック採用した。25で、完全なツインチューブ構造であればアルミの薄板でも十分な剛性が得られることを示したロータスが、77では更に異なる構造となった。それまで、ツインチューブの為に横に広がった平坦な断面形状であったシャシが、シングルスキン構造にすることで、より細い断面形状とすることが可能になった。実際には77は同時代のライバル車に対して剛性が不足していたが、ハニカムサンドイッチ材を用いた78、79、そしてチタンシートを使った80に至り、ツインチューブモノコックは完全に過去のシャシ構造となった。今日のF1における極端に幅の狭いカーボン・シャーシは、例外無く全てシングルスキン構造である。 1977年78で、グラウンド・エフェクト理論がF1に応用可能であることを示した。グラウンド・エフェクトを利用したマシンは「ウィングカー」とも呼ばれた。グラウンド・エフェクトの原型となるデザインは1960年代の後期にBRMでテストが行われ、1970年のマーチ・701で実戦に登場していた。このアイデアを成功させたのが、78である。78の設計チームには、BRMでグラウンド・エフェクトのテストを行っていたピーター・ライトとトニー・ラッドが所属していた。 1978年の79にはスライディングスカートを採用し、大きな進歩を遂げた。以後、多くのマシンでグラウンド・エフェクトが採用された。 1981年の88では、「ツイン・シャーシ」と呼ばれる構造を採用した。グラウンド・エフェクトカーの堅過ぎるサスペンションがドライバーの身体に影響を与えている問題を解決するためとの理由だったが、他のチームの抗議により、出走は認められなかった。ただし「ドライバーの負担を解決」は方便で、ツインシャシーはグラウンドエフェクトの効果を高めるため、とみなされている。 1987年の99Tにおいて、アクティブサスペンションを採用した。
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