先進技術の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:58 UTC 版)
ウォルター・クライスラーはマックスウェルの経営獲得前、ウイリス・オーバーランドの経営幹部を務めていた時期、スチュードベイカーの有能な技術者チームで1910年代後期の同社で「三銃士」(Three Musketeers)と呼ばれた3人の技術者、フレデリック・ジーダー(Frederick Morrell Zeder)、オーウェン・スケルトン(Owen Ray Skelton)、カール・ブリアー(Carl Breer)らを引き抜き、ウイリス社内での新型6気筒車の開発を委ねていた。ところがウイリスの経営破綻でこの開発は1922年につまづき、クライスラーは辞任、「三銃士」たちもやむなく技術コンサルタント会社「ZSB」を設立して再独立した。マックスウェルの経営に参画したウォルター・クライスラーは、改めて「三銃士」と彼らに連なる人材をマックスウェルに迎え入れ、ウイリス時代から持ち越されていた6気筒車計画を再生する形でのちの「クライスラー・シックス」が開発されたのであった。 ウォルター・クライスラーは会社名をクライスラーに改称した後も、「三銃士」ら技術陣の高い能力を活かし、社内開発・社外メーカー技術を問わず新しい技術を果敢に導入するなど、技術面ではしばしばGMやフォードに大きく先んずる姿勢を発揮、これは第二次世界大戦後の1950年代までクライスラーの伝統となった。 最初のクライスラー・シックスからして、機械式4輪ブレーキがようやく普及し始めた時期に、超高級車のデューセンバーグ(1921年)以外に先例がなく大量生産自動車では最初となった、ロッキード式の4輪油圧ブレーキシステムを導入した画期的量産車であった。さらに、エンジンユニットを3点で浮動支持して振動抑制を図る「フローティングパワー」と呼ばれる新方式のエンジンマウント(一般にはフローティングマウントと呼ばれる 1932年実用化)、エンジン位置を従前より前進配置させて前輪荷重を大きくすることで直進性を高める「アンダーステア型」の前傾重量配分(1933年)、油圧式パワーステアリング(1952年に乗用車で世界初導入)など、1920年代後期から1950年代までにクライスラーが他社に先駆けて導入・実現した重要な新技術は非常に多く、これに多くのメーカーが追随している。しかもクライスラーは、これらの技術を上級車のクライスラーのみに留めず、中級車のダッジ、大衆車のプリムスに至るまで応用することに努め、技術の普及を速めた。 その自負のもと、1930年代初頭には、先進技術(前傾型重量配分、スケルトン構造ボディ)と流線形の斬新なデザインを合わせた新型車「エアフロー」を導入したが、これはデザインが先進的過ぎたために市場に受け入れられず、商業的には成功できなかった。しかしこれ以降アメリカやヨーロッパ、日本では流線形のデザインが主流となっていく。
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