オーシアとの冷戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 13:52 UTC 版)
「ユークトバニア連邦共和国」の記事における「オーシアとの冷戦」の解説
1970年代以降、ユークトバニアはエストバキアに兵器を輸出していた。 1980年代からイデオロギー対立からオーシアとの間で冷戦が勃発し、互いに仮想敵国と認識し軍備拡張と世界規模の勢力拡大を進めた。核兵器開発競争は激化し、大陸間弾道ミサイル(ICBM)やその迎撃兵器の開発が進められた。両国は核戦略構想に基づいて軍拡を続け、ICBMなどの戦略兵器の性能向上のみならず、早期警戒衛星や偵察衛星に加え迎撃手段という広範囲を対象にした高レベルなプラットフォームの整備を進めた結果、レーザー兵器や運動エネルギー兵器を搭載した攻撃衛星(ASAT)の宇宙配備によって、弾道ミサイルに対する索敵・迎撃システムは大幅な進化を遂げた。これにより、弾道ミサイルは多層的な迎撃を受けうることとなり、弾道ミサイルは軌道変化や多弾頭化といった高性能化や、早期警戒衛星から逃れる工夫が必要となった。 1986年、ユークトバニアとカルガの間でチュメニ紛争が勃発した。ジトミル制空戦でユークトバニア軍が勝利し、カルガ共和国空軍北部方面隊を壊滅状態に追い込んだ。紛争の結果は不明瞭である。1987年、ユークトバニア構成国のロムヌイ共和国にてヘウム政権がクーデターを起こしたが、ユークトバニア軍はこれを鎮圧した。 1991年9月2日、サマノフ首相はシーニグラードの党大会において、兵器産業廠と海軍が共同で進めていた新型潜水艦の実証建造の成功を宣言した。サマノフ政権は戦力近代化計画が順調に進んでいる点を強調し、友好国への支援に向けてユークトバニア中央党員や国民に奮起を促した。同年にICBMの改良型の試射に成功しており、空軍でも次世代戦術戦闘機の選定を終えるなど軍事力の強化が進められた。サマノフ政権はベルカ連邦での分離独立の機運をオーシアが利用して再編が進むことを危惧し、独自の立場をとる点をアピールした。 オーシアのハワーズ外務大臣は、党最高大会の様子を見て同日のニュース番組に出演した。新型潜水艦に関しては中央ユージア連合(FCU)が保有するドラゴネット級潜水艦を贋造した疑いがあると指摘し、ユークトバニアによるオーシアとベルカ周辺地域安定化活動に対して、「ベルカの権益を切り取るチャンスを伺い始めているとしか思えない」と述べた。 9月4日に発刊されたユークトバニア中央党機関紙のポエスエディテによれば、ベルカの国難はベルカ連邦政府の無策と、それにつけこむオーシアの膨張主義と策謀主義がもたらしたもので、国際社会の安定を考えない無責任な行為であり、ユークトバニアは大国として指導性を発揮するとしている。また、ユークトバニア軍広報部は、先進技術の導入と拡充のため、若年層を中心に人材募集を募るとした。政府公認の国家公務職特別枠であり、電子計算技術、大規模情報伝達網整備に見識のある者を集め、将来的な幹部候補として育成する青年隊を組織するとした。
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