交渉の推移とは? わかりやすく解説

交渉の推移

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 20:39 UTC 版)

天津条約 (1885年4月)」の記事における「交渉の推移」の解説

1884年12月4日朝鮮国内で甲申政変発生した日本は、1885年1月朝鮮政府とのあいだに政変の事後処理定めた漢城条約結んだが、クーデタ日清関係にも重大な緊張状態もたらした日本国内では、公使日本軍クーデタ関与した事実伏せられ清国軍の襲撃居留民惨殺されたことのみが大きく報道されたこともあって、対清主戦論的な国民世論醸成されていた。自由党機関紙自由新聞』は、「我が日本帝国を代表せ公使館焚き残酷に我が同胞なる居留民虐殺」した清を許すことはできず、中国全土武力で「蹂躙」すべしとの論陣張り福澤諭吉の『時事新報』も「北京進軍すべし」と主張した。『東京横浜毎日新聞』や『郵便報知新聞』もまた清国の非を報道した日本各地義勇団運動抗議集会追悼集会が開かれ日本陸軍主流薩摩閥も派兵向けて動いた課題は、なおも朝鮮半島睨み合う日清両軍撤兵問題と、甲申政変中に在留日本人清国軍によって加害されたとされる日本商民殺傷事件に関する責任の追及であった日本側は、参議宮内卿の職にあり、政府最高の実力者である伊藤博文特命全権大使任じて北京派遣した伊藤には参議・農商務卿の西郷従道同行し井上毅伊東巳代治牧野伸顕12名の随員10名の随行武官をともなう大型使節団が、1885年3月21日北京入りした。清国側交渉の席を天津設けて全権北洋通商大臣李鴻章委ねた日本側は、朝鮮国王要請によって王宮内に詰めていた竹添進一郎公使日本公使館護衛隊袁世凱率い清国漢城駐留軍攻撃晒されたことはまったくの遺憾であると主張し政変混乱広がる漢城市街清国軍人によって在留日本人多数殺害略奪されたとして清国厳しく非難した。そして、そのうえで朝鮮からの日清両国即時撤兵と、日本商民殺傷事件関係する清国指揮官処罰求めた対して清国側は、朝鮮王宮における戦闘日本側が戦端開いた反論し日本クーデタ引き起こした独立党勢力協力した疑いがあるとして、軍を出動させた竹添公使行動強く非難し漢城における日本商民殺傷事件暴徒化した朝鮮軍民によって引き起こされたものであるとして清国軍の関与否定した撤兵問題に関しては、共同撤兵といえば相互対等に聞こえるものの、日本側が公使館警備限定され一個中隊暫定的駐屯であるのに対し清国側は現に漢城制圧している大軍駐兵既得権であったことから、事実上清国駐兵権放棄求めたのに等しかった。これについて、駐清公使榎本武揚は、将来緊急時出兵担保するならば最終的に合意得られるだろうとの見通し示した実際には、日清両軍朝鮮半島からの退去については早々に合意をみたものの、以後朝鮮半島への両国軍隊派遣に関して両者の主張食い違い伊藤李鴻章のあいだの交渉は6回におよんだ伊藤第三国侵攻など特別な場合除いて日清ともに出兵するべきではないと主張したのに対し朝鮮が軍の派遣要請すれば清国宗主国として軍を派遣しないわけにはいかない反論し壬午軍乱甲申政変といった内乱であっても出兵ありえる主張した結局伊藤主張する両国永久撤兵案は退けられたものの、榎本予想通り出兵に関する相互通知取り決めることで合意達した日本商民殺傷事件に関する清国軍の関与清国側決し認めず瑣末事であるとして取り合おうともしなかったが、伊藤執拗な追及折れて清国内部再調査行い事実であれば将官等を処罰するとの照会文を取り交わした伊藤はかろうじて面目保ったことになる。 こうして1885年明治18年4月18日光緒十一年三月初四日)、両全合意の下で天津条約締結された。 なお、清国譲歩した背景には、フランスとの清仏戦争がなおも続いていたことや、交渉が長引くことによって日本フランス接近することを防ぎたいイギリス側からの働きかけがあったといわれる

※この「交渉の推移」の解説は、「天津条約 (1885年4月)」の解説の一部です。
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