事故調査とその後の教訓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 08:03 UTC 版)
「タコマナローズ橋」の記事における「事故調査とその後の教訓」の解説
この大落橋が有名になったのは、崩壊のその瞬間のみならず、激しい揺れを生じ始めてから崩壊を終えるまでの全経過が映画用カメラで連続撮影され、映像として完全記録されていたためである。この詳細な記録により、構造物が風を受けて生じる振動についての研究が急速に進展した。 架橋直後からわずかな風でも激しく揺れることが問題となっており、おりしもワシントン大学の研究チームが調査中であった。風速測定や写真撮影による振動記録を含んだデータ取得が続けられていたが、11月7日朝に異常振動が始まったのを察知した研究チームは、急遽近くの写真店から映画カメラを借りてきて橋を観察できる位置に据え付け、結果として橋に起こった破滅の一部始終を映像として記録し得たのである。当時としてはまだ珍しいカラーフィルムで一部始終が記録された。 落橋後の原因調査で、桁が薄い板状になっていると振動が非常に起こりやすいことがわかった。この振動は自励振動(発散振動)と呼ばれ,本橋では横風によって桁の上下に発生した空気の渦が桁を上下に振動させ、上下に振動した桁がさらに大きな渦を発生させて振幅を増大させることで引き起こされた。タコマナローズ橋の場合は、桁の薄さと幅員の狭さが相まって剛性が不足し、ついには振幅増大による崩壊を許容してしまったのである。反省から、以後多くの長大吊橋には、補強のための補剛トラスが備わることとなった。設計者のモイセイフは面目を失ったまま1943年に死去した。 崩落は風による共振が原因だという説については、ロバート・H・スカンランやP・ジョセフ・マッケナ、アラン・C・ラザーらが誤解だとして否定している。共振は物体の固有振動数と外部の影響による強制的な振動の周波数の一致が必要だが、強風は振動の周波数が安定しておらず、共振現象が発生しそうにないというのがその理由である。上記の共振現象否定説は、風速の変動のみを初期の振動と捉えているが、定常風であっても振動は発生するし、空力的な意味での周波数は風速にはほとんど依存しない。このことは高速列車の最後尾で観察、体感することができる。脚注引用文書の内一つは不存在。一つはいわゆる科学読み物に分類される書籍である。 タコマナローズ橋落下は第二次世界大戦激化とも相まって、長大吊橋の建設を一時停滞させることにもなったが、この教訓から長大吊橋においては、補剛トラスで十分な強度を確保することの重要性が認識されるようになった。更なる改良として、1966年に開通したセバーン橋では補剛トラスで補強するのではなく、桁断面の形状を翼状にして風の影響を少なくするというアプローチをとっている。 崩壊したタコマナローズ橋の残骸の大半は解体・売却されたが、その代金をもってしても建設費用を賄えず、収益は赤字となってしまった。ただし、ケーブルアンカーなど一部の部品は下記の新しい橋に再利用された。現在、タコマナローズに崩落した橋の残骸は、人工漁礁として機能している。 タコマナローズにはその後新しい橋が建設され、1950年10月14日に開通した。長さは5,979フィート(1,822m)、最大スパンは2,800フィート(853m)、海面からの高さは57.15m。建設業者は以前と同じ。今度は揺れなかったため、"Sturdy Gertie" (丈夫なガーティ)のあだ名がついた。当初1日6万台の通過を予定していた新タコマナローズ橋はその後交通量が増加したため、2002年からすぐ横に新しい吊橋の建設が行われた。新橋建設途中の2005年には交通量は1日9万台に達した。新橋は2007年7月15日に開通し、従来の橋は西向き、新しい橋は東向きの車線に使われている。 通行料は東行きのみ徴収で、普通車は現金・カード払いが6ドル、ETCが5ドル、後日郵送が7ドルとなる。
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