中国共産党による監視統制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:25 UTC 版)
「六四天安門事件」の記事における「中国共産党による監視統制」の解説
上記の様に、西側諸国だけでなく、東側諸国を含む世界各国では、この事件は報道されたものの、国内においては、事件後には、平常時にも増して情報統制が強化されたため、事件に対する詳細な報道はほとんど行われなくなった。 2022年時点でも、以下のような当局ぐるみでの当事件の情報操作が行われている。 当事件の名称や当事件の発生日「6月4日」、画像などに対する人工知能や機械学習の声紋・画像認識技術を利用したグレート・ファイアウォールによる自動ネット検閲。これにより、香港や澳門を除く中華人民共和国内の検索エンジン(Yahoo!やGoogle、MSNなど)では、「六四天安門事件」などの特定のキーワードで検索すると、接続不可能になる。このことから、当事件を意味する「5月35日(5月31日+4日)」、VIIV(ローマ数字の64)や、「82(=64)」などの隠語を生んだ。また、Twitterやhotmail、ウィキペディアも接続遮断 された。 インターネット配信や国内向けの衛星放送などで海外メディアが天安門事件を報じると突如放送を停止させる。 外国人カメラマンが6月4日前後に天安門広場を撮影しようとすると、目の前で傘を開いて天安門を写させないようにする。 当事件における学生運動の主要メンバーであった劉暁波のノーベル平和賞受賞の際、中国共産党政府は2010年10月下旬以降に、ノルウェーにある欧州各国の大使館に対し、12月10日にオスロ市庁舎にて行われるノーベル平和賞授賞式の式典に参加しないよう求める書簡を送った。書簡では式典当日に劉暁波を支持する声明を発表しないようにも求めた。また、北京においても数カ国の外交官に対して、同様の要請を行った。 事件日の6月4日前後には検閲が強化され、事件を想起させる画像や言動も削除される。特に戦車は事件を想起させることから新規の投稿画像が削除され、ビエネッタの形が戦車に似ているという理由でインフルエンサー李佳琦(中国語版)(Austin)による配信が遮断された事例もある。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}そのため、本件以降に学校教育を受けた世代は、事実をほとんど知らない。知っている者でも、暴徒が人民解放軍を襲ったための自衛行為という程度で、中には海外メディアの街頭インタビューに対して『そんな事件はなかったんですよ』と答える者もいた。[要出典] 当事件の結果、中華人民共和国国内の民主化運動は一気に下火となるが、本件で中国共産党に失望して決別した活動家は多く、石平を始めとした活動家が、中華人民共和国外で活動を続けることになる。なお、その後石平は日本に帰化している。天安門事件以降、天安門広場には顔認識が可能な大量の監視カメラが設置され、活動家は音声認識による盗聴やDNA収集で徹底的に追跡と特定を行われている。 最終的に事態を掌握した強硬派と、その一派がその後現在に至るまで実権を握り続けているために、中国共産党によるこの事件に対する反省や謝罪の姿勢の表明だけでなく、この事件に対する検証報道は、これまで一切行われておらず、中国共産党政府最大のタブーの一つでもある[信頼性要検証] 。中華人民共和国国防部部長の遅浩田は、1996年にアメリカ合衆国を訪れた際に、「天安門広場では1人も殺されなかった」と発言して、世界各国から反発を受けた。事件から30周年を迎えた2019年6月には国営の環球時報は「ワクチンとして将来どんな政治的動揺にも対処できる免疫力を中国に与えた」と事件に言及する異例の論説を発表し、中国国防部部長の魏鳳和も訪問先のシンガポールで「騒乱を治めるために正しい対応をした。中国は安定と発展を享受している」と異例の言及を行った。 2021年発刊の『党史』は、天安門事件の犠牲者には言及せず、「制裁した各国に闘争を挑み、日本に率先して制裁を取り消させた」と記しており、『読売新聞』は「歴史を自らに都合良く解釈する姿勢の表れと言える」と評している。
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