世界各地での活躍とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 世界各地での活躍の意味・解説 

世界各地での活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 06:47 UTC 版)

ロバート・テューズリー」の記事における「世界各地での活躍」の解説

イングランド・レスターの出身英国ロイヤル・バレエスクールのホワイト・ロッジバレエ学び1990年卒業した卒業後はカナダ国立バレエ団入団して1993年ソリストとなった1994年ヨーロッパツアー初日代役として急遽コッペリア』のフランツ1週間準備期間で踊ることになり、終演後にプリンシパル昇進したカナダ国立バレエ団在団中は、フレデリック・アシュトンの『真夏の夜の夢』、『バレエの情景』などの他、ジョン・クランコルドルフ・ヌレエフケネス・マクミランイリ・キリアンなどの作品主役踊った1996年、プリンシパル・ダンサーとしてシュトゥットガルト・バレエ団移籍したシュトゥットガルト・バレエ団では、同バレエ団重要なレパートリーであるジョン・クランコ振付作品とりわけ活躍し、『ロメオとジュリエット』のロメオ、『オネーギン』のレンスキー、『じゃじゃ馬ならし』のホーテンショー(ホルテンシオ)などを踊ったその他にジョージ・バランシンの『アポロ』、『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』やウイリアム・フォーサイス、デヴィッド・ビントレージョン・ノイマイヤーなどの作品を自らのレパートリー加えた一時期背中負傷原因舞台から遠ざかった経験があったが、グレン・テトリーの『春の祭典』で復帰果たしたシュトゥットガルト・バレエ団在団中から、ロイヤル・バレエ団のゲストダンサーとしてクランコの『オネーギン』、アントニー・ダウエル版の『白鳥の湖』、ピーター・ライト版の『ジゼル』で主役踊っていた。2002年秋に正式にロイヤル・バレエ団とプリンシパル・ダンサーとして契約しケネス・マクミランの『マイヤーリング』に主演した2002年11月1日ロイヤル・バレエ団退団ニューヨーク・シティ・バレエ団への移籍発表したニューヨーク・シティ・バレエ団ではバランシンの『くるみ割り人形』、『真夏の夜の夢』(en:A Midsummer Night's Dream (ballet))、『バラード』などクラシック要素の強い作品活躍したニューヨーク・シティ・バレエ団ではジョージ・バランシン題材としたボリス・エイフマンの『ムサゲーテ』の初演でバランシン役を演じた。テューズリーはこの作品について「このバレエ踊った瞬間自分残されキャリアフリードラマティック作品踊りたいんだと気づいたんです」と語り2004年フリーランスダンサーとなったフリーランス転身後は、ミラノ・スカラ座バレエ団オーストラリアバレエ団ローマオペラ座バレエ団など、世界各国バレエ団公演やガラ・パフォーマンス等に招聘されさまざまな作品重要な役柄踊った。 テューズリーは長身容姿恵まれ舞台マナー良さ共演者対すサポート巧みさに定評があった。2001年新国立劇場バレエ団が『ロメオとジュリエット』を初上演した際、同バレエ団在籍していた酒井はなは、「立ち姿美しくてフォーム完璧。こんなきれいな人がいるんだと感動したみんなで注目したものです」と当時のテューズリーについて回想していた。彼は演技力優れたダンサーであり、クラシックバレエ主役以外にもさまざまな役柄踊り演じたローラン・プティ振付の『こうもり』ではヨハン役をユーモア洒脱さを交えて好演しケネス・マクミラン振付の『マノンにおいては誠実な青年デ・グリュー放蕩者のレスコーマノンの兄)の双方レパートリーとしていて好評であったとりわけロメオとジュリエット』のロメオ当たり役1つであり、クランコ版、マクミラン版のどちらにおいても優れた解釈表現見せたまた、ウィリアム・フォーサイス振付In the Middle, Somewhat Elevated』、『ヘルマン・シュメルマン』やジョン・ノイマイヤー振付椿姫』などの現代作品も踊りこなす幅広い芸域持ち主でもあった。 テューズリーは1991年初め日本舞台出演果たし新国立劇場バレエ団牧阿佐美バレヱ団スターダンサーズ・バレエ団小林紀子バレエ・シアターなどとしばしば共演していた。彼は日本のバレエダンサーについて「日本ダンサーは、英国スタイルで踊るのが自然だと思います」と発言した上でいままで自身共演した日本のバレエ団のほとんどがアシュトンマクミランなどのイギリスバレエ作品の上演で成果上げていることを指摘し、「日本ダンサーはとても音楽性優れていて、表現控えめです。いま日本上演されるマクミランレパートリー増えてきているので、よりドラマティック作品経験積んで演劇的な表現もできるようになっています」とその理由解説していた。その一方で日本から刺激も受け「大作上演する時は3.4週間日本カンパニーに交ざって練習した。そんな時、お互いに学び合えることが日本に来る楽しみでした」と語り、「日本数多く舞台に立ち、素晴らし経験をさせてもらいました」とも述べていた。 彼は吉田都としばしば共演し、「まさにロイヤル・スタイルを体現した人」と高く評価していた。テューズリーが吉田存在注目したのは、彼が英国ロイヤル・バレエスクールに在籍していた頃であった当時英国ロイヤル・バレエスクールの生徒だったテューズリーは、吉田卒業式見たことを覚えていて、それから彼女のキャリア見守り続けていた。 初め吉田共演したのは、英国ロイヤル・バレエ団オーストラリア公演ジゼル』だった。リハーサル1、2回しかできなかったにかかわらず2人はすぐに息が合って舞台上で信頼しあえるようになり、その後もたびたび共演した2006年牧阿佐美バレヱ団高円宮憲仁親王追悼作品として初演した『ア ビアント だから、さよならいわないよ』(島田雅彦原作三枝成彰作曲牧阿佐美・ドミニク・ウォルシュ・三谷恭三共同振付)では吉田とともに繰り返す死と別れ翻弄されながらも時空を超えて幾度も出会い愛し合う男女(リヤムとカナヤ)の物語演じた2009年8月28日から同年11月27日までNHK教育テレビジョン放送されていた「スーパーバレエレッスン ロイヤル・バレエ精華 吉田都」では、吉田と『ロメオとジュリエット第1幕から「バルコニーパ・ド・ドゥ」を披露した。 テューズリーが初演となった主な作品には『ムサゲーテ』、『ア ビアント だから、さよならいわないよ』の他に、ジェームズ・クデルカ(en:James Kudelka)の『ジ・アクトレス』、『くるみ割り人形』、ジョン・ノイマイヤーの『ナウ・アンド・ゼン』、グレン・テトリーの『オラクル』(カナダ国立バレエ団在籍時)、マウロ・ビゴンゼッティの『カシミール色彩』、ケヴィン・オーデイの『ドリーム・ディープタウン』、クリスチャン・シュプック( de:Christian Spuck )の『カルロッタ肖像』、『ドス・アモーレ』(シュトゥットガルト・バレエ団在籍時)などがある。2006年には、独仏共同出資テレビ局ARTEの制作によってクリスチャン・シュプックが彼とマルシア・ハイデのために振り付けパ・ド・ドゥペネロペ』を初演した。シュトゥットガルト・バレエ団在籍時の2002年ヨーロッパダンス専門誌『ダンスヨーロッパ』により、ダンサーオブザイヤーに選出された。ブノワ賞にも、『ジゼル』のアルブレヒトと『アポロ』の演技に対して2度ノミネートされ経験がある。 テューズリーは世界各国バレエ団公演やガラ・パフォーマンス等に客演する一方で指導者としても活動した日本では東京・田町に本拠を置くバレエスタジオ「アーキタンツ」などで活動しカナダのアルバータバレエ団やプラハサマースクールなどでも指導者務めた

※この「世界各地での活躍」の解説は、「ロバート・テューズリー」の解説の一部です。
「世界各地での活躍」を含む「ロバート・テューズリー」の記事については、「ロバート・テューズリー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「世界各地での活躍」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「世界各地での活躍」の関連用語

世界各地での活躍のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



世界各地での活躍のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのロバート・テューズリー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS