ロイヤル・バレエ団とは? わかりやすく解説

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ロイヤル・バレエ団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/28 13:44 UTC 版)

プリンシパルのマリアネラ・ヌニェス

ロイヤル・バレエ団(The Royal Ballet)は、イギリスの王立バレエ団。フランスパリ・オペラ座、ロシアのマリインスキー・バレエの2大バレエ団に加えて、世界三大バレエ団の一つと称されることもある。2022年現在の名誉総裁はチャールズ3世[1]、芸術監督は元BRBプリンシパルのケヴィン・オヘア。所属ダンサーは90人[2]

概要

歴史

先にバレエ・リュスで活躍していたアイルランド出身のバレリーナ、ニネット・ド・ヴァロア1931年ロンドンで始めたヴィック・ウェルズ・バレエ(Vic Wells Ballet)が濫觴である。英国にはまだ国立のバレエ団は存在せず、全くの私立カンパニーとしての始まりであった。1942年までにバレエ団はロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場を本拠地とするサドラーズ・ウェルズ・バレエ団となり、先に設立していたバレエ学校でM・フォンテインM・シアラーなど自前の舞踊手を育成していった。初期作品にはド・ヴァロアの振付によるものもあったが、やがて舞踊手出身のフレデリック・アシュトンが振付を開始して数々の名作品を生み出すようになる。第二次世界大戦が始まるとヨーロッパ各国への公演、駐留軍への慰問公演などを積極的に行い、集客力と知名度を上げていった[3]

1946年、戦争で閉鎖していたロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスは再開にあたってサドラーズ・ウェルズ・バレエ団を傘下に置くことになり、バレエ団はコヴェント・ガーデンに本拠地を移した。旧本拠地のサドラーズ・ウェルズ劇場はその代償として分派させたバレエ団の一部を姉妹カンパニーとして手元に留まらせ、その名称はサドラーズ・ウェルズ・シアター・バレエ団となった(移転した方の名称は旧来のまま)。

1956年、王室勅書によりマーガレット王女を名誉総裁とする王立バレエ団となる。2つのバレエ団はそれぞれロイヤル・バレエ団、サドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団の名称が冠せられた。なお1991年にサドラーズ・ウェルズ・ロイヤルはバーミンガムに移転し、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団と改称して現在に至っている。

特色

マリインスキー・バレエやパリ・オペラ座が王室の命によって設立され、王室の擁護の中で数百年の歴史を持つのとは対照的に、ロイヤル・バレエの設立は個人によるものであり、そのために当初から演劇的で大衆受けする作品が作られていた。王立バレエ団となってからも、前述のアシュトンに加え、J・クランコK・マクミランなど個性的な振付家が輩出され、『ラ・フィユ・マル・ガルデ(リーズの結婚)』、『マノン』、『うたかたの恋』、『パゴタの王子』など演劇性の高い作品が生まれた。演劇の伝統の色濃いイギリスのバレエ団らしく、古典作品においてもマイム(パントマイム)を多く残す振付を上演するほか、演技に重きを置くプリンシパル・キャラクター・アーティストという階級をダンサー最高位のプリンシパルと並び設けている点も、とりわけ特徴的である。

また、前記のマリインスキー・バレエやパリ・オペラ座、あるいはそれに匹敵するボリショイバレエ団のフランスやロシアの3大バレエ団が、自国の子供を付属のバレエ学校で育てたダンサーを中心に団員を構成し(マリインスキーとボリショイならばロシアおよび旧ソ連国家、オペラ座ならフランス)外国人は少ないのとは対照的に、1980年代後半から他国でバレエ教育を受け、すでに高いレベルに成長したダンサーを積極的に入団させているのも特徴としてあげられる。結果、日本熊川哲也吉田都フランスS・ギエムスペインT・ロホキューバC・アコスタルーマニアA・コジョカルアルゼンチンM・ヌニェスなど国際色豊かな多士が揃うようになった。反面、安易に他国の優秀ダンサーを引き抜いてばかりで、自国のダンサーを育成していないという指摘もある。また『マノン』、『ロミオとジュリエット』など1960年代から1970年代に製作された新古典上演を重んじるあまり、W・フォーサイスなどコンテンポラリー、モダン系の演目を取り入れるのが遅れ、レパートリーが旧態依然となっているという批判もある。

日本との関わり

1961年以来、数年に一度来日公演を行っており (来日公演一覧参照)、日本国内でも高い人気を維持している。傘下におくロイヤル・バレエ学校がこれまでに優れたダンサーを輩出していることもあり、ロイヤル・バレエ団は国際的なバレエダンサーを目指す者にとって究極の目標と見なされているといっても過言ではない。

日本出身のダンサーとしては、平野亮一高田茜金子扶生(以上、最高位プリンシパル)。崔由姫、アクリ瑠嘉、佐々木万璃子、前田紗江 (以上、ファースト・ソリスト)。桂千里、中尾太亮、五十嵐大地 (以上、ソリスト)。 佐々木須弥奈(ファースト・アーティスト)が所属。ローザンヌ国際バレエコンクール2024 第5位入賞の小林愛里も研修生として所属している。

また過去に所属したダンサーとしては、熊川哲也吉田都佐々木陽平蔵健太小林ひかるらがいる。

在籍した主なダンサー

主なレパートリー

ロイヤル・オペラハウスは1946年以来の本拠地
フレデリック・アシュトン振付
ケネス・マクミラン振付
ニネット・ド・ヴァロア演出・振付
ピーター・ライト演出・振付
デヴィッド・ビントレー振付
  • 『ペンギン・カフェ』 ('Still Life' at the Penguin Café)
クリストファー・ウィールドン振付

リアム・スカーレット振付

  • 『フランケンシュタイン』 (Frankenstein)

来日公演一覧

演目
主な出演者
芸術監督
公演場所
1961 白鳥の湖』 (ヴァロア改訂版)
ジゼル
レ・シルフィード』 『チェックメイト
ソリティア』ほか
M・フォンテイン
M・ソムズ
L・シーモア
ニネット・ド・ヴァロア 東京文化会館ほか
1975 眠れる森の美女』 (マクミラン振付)
リーズの結婚』(アシュトン振付)
A・ダウエル
M・パーク
L・コリア
ケネス・マクミラン 東京・名古屋・大阪ほか
1983 マノン』(マクミラン振付)
スケートをする人々
『田園の出来事』 (アシュトン振付)
ほか
A・ダウエル
M・パーク
L・コリア
M・メイソン
ノーマン・モリス 東京・名古屋・大阪・
広島・福岡
1987 うたかたの恋』 (マクミラン振付)
眠れる森の美女
L・コリア
M・メイソン
F・チャドウィック
M・コールマン
アンソニー・ダウエル 東京・横浜・名古屋・
大阪・福岡・鹿児島
1992 『三人姉妹』
真夏の夜の夢』 (アシュトン振付)
ラ・バヤデール
D・バッセル
L・コリア
V・デュランテ
S・ギエム
熊川哲也
東京・横浜・名古屋・
大阪・広島・岡山・
多摩・相模大野・長野・
勝田・札幌
1995 ジゼル
眠れる森の美女
D・バッセル
S・ギエム
V・デュランテ
I・ムハメドフ
J・コープ
熊川哲也
東京・富士・名古屋・
大阪・和歌山・市川・
ひたちなか・札幌
1997 ロメオとジュリエット』 (マクミラン振付)
ドン・キホーテ』(バリシニコフ振付)
A・クーパー
S・ギエム
J・コープ
熊川哲也
吉田都
I・ムハメドフ
東京・大阪
1999 マノン』 (マクミラン振付)
白鳥の湖』 (ヴァロア改訂版)
リーズの結婚』(アシュトン振付)
D・バッセル
S・ギエム
V・デュランテ
吉田都
J・コープ
B・サンソム
I・ゼレンスキー
東京・大阪・名古屋・
札幌・浜松・横浜
2005 シンデレラ』 (アシュトン振付)
マノン
D・バッセル
S・ギエム
吉田都
A・コジョカル
J・コボー
T・ロホ
モニカ・メイソン 東京文化会館
2008 シルヴィア』 (アシュトン振付)
眠れる森の美女』(モニカ・メイソン改訂演出)
T・ロホ
J・コボー

R・マルケス
M・ヌニェス
D・マッカテリ
T・ソアレス
東京文化会館
大阪 〔ガラ公演のみ〕
2010 リーズの結婚』 (アシュトン振付)
うたかたの恋』 (マクミラン振付)
『ロメオとジュリエット』 (マクミラン振付)
吉田都[4]
C・アコスタ
T・ロホ
A・コジョカル
M・ヌニェス
R・マルケス
J・コボー
S・マックレー
E・ワトソン
東京文化会館
2013 不思議の国のアリス』 (ウィールドン振付)
白鳥の湖』 (ダウエル改訂演出)
R・マルケス
M・ヌニェス
S・マックレー
E・ワトソン
Z・ヤノウスキー
S・ラム
崔由姫
ケヴィン・オヘア
2016 『ロミオとジュリエット』(マクミラン振付)

ジゼル』(ピーター・ライト改訂演出)

L・カスバートソン
F・ヘイワード
N・オシポワ
S・ラム
M・ヌニェス
S・マックレー
M・ゴールディング
V・ムンタギロフ
東京文化会館
福岡サンパレス
兵庫県立芸術文化センター
愛知県芸術劇場
ふくやま芸術文化ホール
2023 『ロイヤル・セレブレーション』

『FOR FOUR』

『プリマ』

『田園の出来事』

『ジュエルズ』より”ダイヤモンド”

『ロミオとジュリエット』

M・ボール

W・ブレイスウェルR・クラーク

F・ヘイワード

平野亮一

金子扶生

S・ラム

M・マグリ

S・マックレー

V・ムンタギロフ

Y・ナグディ

M・ヌニェス

N・オシポワ

高田茜

L・モレーラ

ケヴィン・オヘア 東京文化会館

大阪フェスティバルホール

アクリエひめじ

※初来日は1961年。竣工直後の東京文化会館で行われた。

脚注

  1. ^ The Royal Ballet, roh.org.uk
  2. ^ Dancers ※2020年9月1日現在。階級別では以下の通り。
    プリンシパル 15人
    プリンシパル・キャラクター・アーティスト 7人
    ファースト・ソリスト 15人
    ソリスト 10人
    ファースト・アーティスト 15人
    アーティスト 28人

    上記正団員の合計が90人。これ以外にA・ジェブセン育成研修生6人、ローザンヌ賞研修生1人を登録している。

  3. ^ 『オックスフォード バレエダンス辞典』
  4. ^ 吉田都 - NHK人物録

外部リンク


ロイヤル・バレエ団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 05:22 UTC 版)

ロス・ストレットン」の記事における「ロイヤル・バレエ団」の解説

2001年アンソニー・ダウエルがロイヤル・バレエ団の芸術監督退任すると、ロイヤル・オペラ・ハウス理事会はストレットンを後任として3年契約を結ぶと発表したが、その13か月後の2002年9月辞任することになった。この短期間での辞任劇は、在職中に団内で起きた数々論争のために、ロイヤル・バレエ団はメディアから前例のないほどの注目を集めることになった。 ストレットン辞任直前の数週間渡って、ロイヤル・バレエ団のダンサーはストレットンの管理方針キャスティングに関する決定広報済みキャスティング頻繁に変更したことに抗議してストライキを行うと迫った。ロイヤル・バレエ団の上組織であるロイヤル・オペラ・ハウスは、ストレットンが上級管理職との間に満足のいく協力関係築けなかったことが辞任繋がったことを示唆した一方で、ストレットン自身芸術面の相違ほのめかす声明出している。 「私はこのカンパニー偉大な遺産大いなる敬意払っているが、私の興味は主にバレエ将来発展させることにあり、そのためにこそ時間費やしたい考えている」 ストレットンの辞任により、アンソニー・ダウエル時代から芸術助監督務めていた元プリンシパルのモニカ・メイソンが暫定的に芸術監督となったその後2002年12月正式に芸術監督任命された。 以下のようなさまざまな問題が、ストレットンの退団繋がったとされている。 プリンシパルのサラ・ウィルドーが、キャスティングを巡る論争の末に退団したこと マクミラン夫人が、亡夫ケネス・マクミラン作品の上撤回する迫ったこと ストレットンの公演プログラムが、批評家から酷評受けたこと 理事会から、ダンサーがストレットンの不信任決議計画していると発表されたこと ニューヨーク・タイムズはストレットンの芸術面および管理面のアプローチについて、以下のように論評している。 「彼の焦点既存レパートリー創造性および新し振付家の間でバランスを取ることに当てられており、これは基本的にアメリカン・)バレエ・シアターで見られポリシー通りであった1997年から2001年までオーストラリア・バレエ団芸術監督として、同じことを行っていた。ここでも同じことをしようとしてダンサー達や現状よしとする者達の反対にくわしたのだ」

※この「ロイヤル・バレエ団」の解説は、「ロス・ストレットン」の解説の一部です。
「ロイヤル・バレエ団」を含む「ロス・ストレットン」の記事については、「ロス・ストレットン」の概要を参照ください。

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