三極管の発明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 03:57 UTC 版)
「リー・ド・フォレスト」の記事における「三極管の発明」の解説
マルコーニの発明した無線電信に興味を惹かれ、グリエルモ・マルコーニに宛て就職を依頼する手紙を書くが返事は来なかった。イリノイ工科大学の前身の1つである研究機関 (Armour Institute of Technology) で研究員として働くようになり、無線、燃焼ガスと放電の関係、電波検出器などを研究した。1906年に三極管の一種であるオーディオン管を発明。さらに無線電信の受信機の改良も行った。 1906年1月、電波検出器として機能する二極管(いわゆる検波管)の特許を出願。ジョン・フレミングが1904年に発明した二極管「フレミング管」(w:Fleming valve)に工夫を加えたものである。 さらに研究を進め、3つの電極を持つ、オーディオン管(w:Audion)あるいはド・フォレスト管とも呼ばれる真空管を発明した。二極管のカソード(フィラメント)とアノード(プレート)の間に第三の電極であるグリッドを挿入したもので、信号の増幅に使うことができる。これは世界最初の三極管とみなされている(三極管という呼称ができたのは1919年)。1907年に特許を出願し、1908年2月に米国特許番号第879,532号として発効した。 三極管により信号の増幅ができるようになったことで、電子工学の分野が大きく広がった。無線の分野においても、1890年代のニコラ・テスラやグリエルモ・マルコーニの無線通信に関する業績以来、トランジスタが発明される1948年まで、三極管は大陸横断電話通信網、ラジオ、レーダーなどの開発にとって非常に重要な要素となった。最高速の電子スイッチング素子でもあり、トランジスタの実用化以前の最初期のデジタル回路(いわゆる「第1世代」のコンピュータなど)にも使われることになる。 ド・フォレストは試行錯誤の末にこの発明にたどり着いたもので、その動作原理を完全に理解していたわけではない。実際彼が製作したオーディオン管はガス封入管であり、本人は封入したガスがイオン化することで増幅作用を生じていると主張していた。しかし、実際にはほとんど真空だったために機能したことが後に判明している。ゼネラル・エレクトリックに所属していたアメリカ人発明家アーヴィング・ラングミュアが三極管の原理を初めて正しく説明し、大幅な改良を成し遂げた。 1904年、日露戦争の取材のためタイムズ誌記者が乗船した蒸気船 Haimun にド・フォレストの無線電信用送信機と受信機が設置された。無線電信を報道に使ったのはこれが世界初である。1907年7月18日、ド・フォレストは蒸気船 Thelma で、世界で初めて船から陸に向けての放送を行った。これはヨットレースの結果を速報することを目的としていた。そのメッセージは助手のフランク・E・バトラーがエリー湖上のサウス・ベース島で受信した。"wireless"(無線)という言葉を好まず、代替の新語として "radio"(ラジオ)という言葉を考案した。世界初の公共ラジオ放送を行ったとされている。1910年1月12日に行った最初の実験放送では、オペラ『トスカ』の上演の生音声の一部を放送し、翌日の放送ではイタリア人テノール歌手エンリコ・カルーソーがニューヨークのメトロポリタン歌劇場で行った舞台の音声を放送した。 1910年にサンフランシスコに移り、Federal Telegraph Company で働き始め、1912年に世界初のラジオ送受信機の開発を開始した。同社のエレクトロニクス研究所はパロアルトにあった。ここでラジオ用三極管を開発した。
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