発明の歴史
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再生回路は、1912~1913年頃のほぼ同じ時期に多くのエンジニアにより考案された。 アメリカでは、コロンビア大学を卒業したばかりのアームストロングが1913年10月19日に、また同じ日にゼネラル・エレクトリックの有名な科学者アーヴィング・ラングミュアが特許申請を行い、ドイツのテレフンケン社のエンジニアのマイスナー(Alexander Meißner)も1914年3月16日に再生回路の特許申請を行った。当時オーディオン(audion)の名前で呼ばれていた三極管の発明者であるリー・ド・フォレストは、1914年3月20日に再生検波回路であるウルトラオーディオン(ultra-audion)の特許を申請した。これらのうち、アームストロングの再生検波回路の申請のみが認められ1914年10月6日に特許(米国特許番号1113149)として成立した。 ドイツでは、1913年4月にテレフンケン社のマイスナーによる正帰還を用いた真空管式の発振回路が特許になり(ドイツ特許番号291604)、再生式の高周波増幅回路と検波回路とを組み合わせた受信回路が1913年7月に特許(ドイツ特許番号290256)として成立している。これらはアメリカでのアームストロングらの特許申請より早い。ロンドンにあったグリエルモ・マルコーニの関連会社が出版した1923年度版イヤーブックでは、ベルリンのマイスナーが1913年に再生回路を発明したと記載されている。 イギリスでは、マルコーニ無線電信会社エンジニアのフランクリン(C. S. Franklin)がマイスナーと同様の受信回路で1914年6月に特許(英国特許番号13636/13、1913年6月申請)を取得し、同じマルコーニ無線電信会社の有名な研究者で後のアームストロングのスーパーヘテロダイン方式の発明にも関係するラウンド(H.J Round)も同じような特許(英国特許番号28413/13、1913年12月申請)を1914年12月に取得している。 マイスナーはこれらの特許に対抗するため、イギリスで再生検波回路と発振回路を含む広範囲の特許(英国特許番号252/14)を1914年1月に申請し1915年8月に取得した。 先発明主義をとっていたアメリカでは、1914年のアームストロングによる特許成立以降、ド・フォレストとアームストロングとの間で発明者を巡る長い特許訴訟が続くことになる。この特許訴訟は1934年まで続き、ド・フォレストとアームストロングとは法廷で13回争った。最終的に合衆国最高裁判所の判決によりド・フォレスト側が勝訴した。そのためアメリカでの法律上の再生回路の発明者はド・フォレストである。しかし当時のアメリカの無線技術者は、この合衆国最高裁判所の判決にもかかわらず、アームストロングを支持した。現在の書籍でも、アームストロングが再生回路を発明/発見したとしているものが多い。
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