発明の業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/23 14:11 UTC 版)
1867年に科学アカデミー宛に「色彩、形体、および運動の記録と崔精に関する方法」という論文を送っており、1869年にはフランス写真協会に色彩写真に関する「三色写真法」研究成果を報告している。しかしちょうどクロスの2日前にルイ・デュコ・デュ・オーロン(フランス語版)という者が同様の報告をしており、特許もオーロンが持っていて、クロスは激しく失望した。しかしクロスはその後も色彩写真の研究を続け、1880年頃には高度な写真技術を開発していたことを示す写真も現存している。 また1877年頃からショーヌ公爵という自身も発明好きというパトロンが付き、ソルボンヌ街の実験室を借り、後にサルト県サブレの城に実験室を作った。1877年にパレオフォーン(paléophone)と名付けた蓄音機の説明を科学アカデミーに送る。クロスはトーマス・エジソンが同じような実験をしているのを知っており、自分の発明の優先権について宣伝に務めたが、エジソンは1877年の7月にイギリスで、12月にフランスで特許を取り、翌年3月にパリの科学アカデミーで蓄音機の動作テストを行って成功し、成功はエジソンの手に渡ることになった。 他に27歳のときに「遊星間の通信法についての研究」という、火星や金星と強力なライトで交信するというアイデアの論文を書き、友人の天文学者カミーユ・フラマリオンの勧めで1869年に講演を行っている。
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