キャベンディッシュ研究所時代
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「チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン」の記事における「キャベンディッシュ研究所時代」の解説
ウィルソンは1900年にケンブリッジ大学のシドニー・サセックス・カレッジのフェローになり、同時に同大学の講師となった。1908年に結婚し2男2女をもうけた。1918年までウィルソンはケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で上級生のための応用物理学講座の責任者を務め、光学の講義もした。1911年には世界で初めてα粒子とβ粒子の飛跡の写真を撮ることに成功した。1913年に太陽物理観察所のオブザーバーに任命され、ここで霧箱によるイオン化粒子の研究とカミナリ電気の研究を続けた。1918年にはケンブリッジ大学の気象電気学の講師になり、1927年にコンプトンと共に霧箱発明の業績でノーベル物理学賞を受けた。ノーベル賞以外にも数々の賞を受賞し、ロンドンの王認学会(ロイヤル・ソサエティ)の会員でもあった。キャベンディッシュ研究所ではウィルソンは大変用心深い研究者で、ゲーテのモットー「急がずに、しかし休まずに」にしたがって仕事を進めていたという。彼は自分のガラス細工はすべて自分でやり、美しく設計した自分の装置をすべて自分で見事に組み立てた。
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