再生回路の発明以前
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再生回路や発振回路の技術のベースになる正帰還のアイデア自体は三極管が発明される前から知られていた。当時使われていた電話機の受話器と送話器を近づけた時の反応から、1890年にヒバード(A. S. Hibbard)が「ハミングテレフォン」(Humming Telephone)の現象を発見した。これは今日のハウリングに相当するものである。電話機のカーボン式の送話器と電池とを接続し、その電気出力をトランスを通し受話器に戻して、送話器と受話器を近づけると音が鳴るもので、フィードバックにより起こる。1908年には現象の理論的な解析が行われ、またコペンハーゲンのラーセン教授が直流を交流に変換するのにこの原理を利用している。当時の電話利用者にはよく知られた現象だった。 後のド・フォレストとアームストロングとの間の再生回路に関する特許訴訟では、フィードバックを用いた「継続的な電気振動を発生させる手段」をどちらが先に発明したかが重要な争点となるが、フィードバックによる電気振動の発生は三極管の発明以前から知られていた。 また、三極管自体も特定の条件を整えれば容易に発振する特性を持っていた。初期の三極管研究が行われていた時代、音声周波数での発振(ハウリング)はごく一般的な現象だった。非常に厄介な現象で、回路のパラメータ(例えばヒーター電圧)をわずかに変化させるだけで音が消えたり音調が変ったりした。当時この現象は「カナリア」(Canaries)と呼ばれていた。三極管が発明された当時のAIEE(American Institute of Electrical Engineers)でのスピーチで、ド・フォレスト自身もこのような現象の報告を行っている。高周波でもゲインを上げると三極管は容易に発振してしまう。三極管による安定した高周波増幅が行えるようになるのは中和回路などの技術が発明されてからである。 三極管の発明以前の発振や増幅に関係するものとして、1895年頃のアーク放電の研究から発見された負性抵抗がある。これは抵抗値が見掛け上マイナスになるような素子や回路で、同調回路と接続すれば同調回路自体の抵抗を打ち消すことができ、三極管などを使用せずに発振や増幅を行うことができる。 アーク放電による負性抵抗を用いた高周波発振器はデンマークの技術者ヴォルデマール・ポールセンにより改良され1907年頃から無線送信機に利用された。また水銀灯の持つ負性抵抗が電話用の増幅器に使えることが発見され電話の中継装置に使われた。 有名な発明家で多くの無線研究を行ったニコラ・テスラは1899年頃コロラドスプリングスの研究所で様々な研究を行うが、その中の一つにコヒーラ検波器を用いた高感度のVLF帯受信機がある。ニコラ・テスラの研究者は、この受信機がコヒーラの持つ負性抵抗を利用し再生回路のような動作をしていたと主張している。 金属粉を絶縁容器に納めたコヒーラは強い高周波信号を加えると導通する性質を持ち、検波器として使われていた。しかし個々の金属粉表面の酸化被膜は半導体のようにも動作するため、微弱な高周波信号に対しては多数の点接触ダイオードを組み合わせたような非線形な特性も示す。加える高周波バイアスのレベルによりこの特性が変化し、負性抵抗素子としての特性を示すようになる。テスラの受信機はスパークギャップ式の高周波発生回路とコヒーラとを組み合わせて再生回路のような動作を行わせ、50μVから500μV程度の微弱な高周波パルスを検出できたと言われる。これは当時の受信機としては非常に高感度で、再び同じような性能が得られるのは真空管式の再生回路が発明されてからである。 1906-1907年にド・フォレストは三極管を発明した。これは当時オーディオンとよばれた。これはジョン・フレミングが発明した二極管を改良したもので、1906年11月頃アイデアを思いつき1907年1月29日に特許申請をおこなった(米国特許番号879532)。このすこし前に副社長だった会社が破産し、最初の妻とも離婚したばかりのド・フォレストは、再び富と名声を得るため、申請の数か月後にはオーディオンや他の無線装置を販売するド・フォレスト無線電話会社(De Forest Radio Telephone Company)を作った。しかし製品はほとんど売れず、会社は1911年に倒産した。司法省はド・フォレストらを詐欺の疑いで告訴した。検察官は会社の唯一の資産が「ド・フォレストが発明したオーディオンと呼ばれる白熱灯のような奇妙な装置だけで、その価値の無いことが証明された」と発言した。 この当時、オーディオンは増幅素子ではなく高周波信号の検波器と考えられていた。高価(5ドルから8ドル程度)だったにもかかわらず単純で安価な鉱石検波器よりわずかに感度が良いだけだったため、ほとんど売れなかった。ド・フォレストはオーディオンに増幅機能があると主張していたが、この頃の三極管の動作と性能は二極管と大差がなかった。動作も非常に不安定だった。ド・フォレストの当時のアシスタントはオーディオンを「通常の無線オペレータが使用するには信頼性が低すぎ、複雑すぎる」としている。また、オーディオンは1910年(明治43年)頃に日本にも輸入され電気試験所で試験が行われたが、動作が不安定ですぐには実用にならないと判断されている。 発明したド・フォレスト自身も三極管の動作原理を十分理解しておらず、管内に封入したガスがイオン化することで動作すると考えていたため、特性の不安定さはなかなか改善されなかった。三極管の動作が安定するのは、ラングミュアなどの科学者により動作原理が正しく理解され高真空度の三極管が作られるようになった1913年頃からである。 そのためオーディオンには、一部の研究者や当時のアームストロングのような無線実験を行うアマチュア以外、大きな関心を持たなかった。
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