ロジャー・ウィリアムズとプロビデンス植民地とは? わかりやすく解説

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ロジャー・ウィリアムズとプロビデンス植民地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 18:41 UTC 版)

アメリカ合衆国における政教分離の歴史」の記事における「ロジャー・ウィリアムズとプロビデンス植民地」の解説

ニューイングランド入植した分離派神学者ロジャー・ウィリアムズ1631年マサチューセッツ移住し国教会からの完全な分離唱えた。しかし、総会議追放されたので、1636年プロビデンス入植しプロビデンス植民地建設した1638年にはアン・ハッチンソン神の恩恵直接的体験唱えたため裁判異端判定受けてマサチューセッツ逃れウィリアムズすすめてアクィドネック島ポーツマス)に入植したウィリアムズプロヴィデンス入植誓約文は、家長会議権限政治権力適用範囲を、宗教を除く世俗的な事柄のみ(only in ciuill things) に限定する史上初の政教分離文書となったこのためウィリアムズは、政教分離信仰の自由保障という近代民主主義基本原則現実政治において実現したとされるウィリアムズ1644年著作で、宗教戦争は平和の王イエス容認しないし、信仰上の理由による迫害正当化した政教提携論者」としてカルヴァン、ベーズ、ジョン・コットンらを批判したウィリアムズ同年1644年ハッチンソンらのポーツマス植民地や、クエーカー植民地ロードアイランド植民地統合してロードアイランド及びプロビデンス植民地とし、総督住民選挙選ばれ政教分離定められた。 1647年著作ウィリアムズは、 現世国家はすべてそれぞれの基本体制統治機構中に司法官置いているが、本質的に宗教関わりのないものであることが明らかなので、魂の世界キリスト教世界礼拝方法について裁定管理擁護行ってならない。最も異教的な信仰礼拝ユダヤ教イスラム教反キリスト的な信仰礼拝でさえも、すべての人々分け隔てなく許し認めることは神の御意思であり、御命令である。 と主張しキリスト教内の宗派だけでなく、他教との共存主張した1652年著作でもウィリアムズは「世俗権力人々の魂を強制してある種礼拝禁止したり、ある種礼拝強制したりすることはできない」とし、「すべての人々良心を自由かつ絶対的に認めること、この場合ユダヤ人トルコ人カトリック教徒異教徒良心除外してならない」と主張しウィリアムズ良心の自由論はロードアイランド植民地アメリカ先住民にまで及んだ。しかし、信教の自由保障したロードアイランド植民地には土地利権目当てにした入植者もあり、ゴースタッドは「すべての人を歓迎したことで、結局すべての人が来てしまった」と述べたり周囲植民地からは「ろくでなし連中」の集まる「下水溝」と見なされるほどの混乱生じた。コディントンがイングランド本国働きかけ独裁的な終身総督就任したのを阻止するためにウィリアムズ本国マサチューセッツ湾植民地総督交渉したまた、周辺植民地から領土的野心狙われプロビデンス自衛軍訓練必要になった時、バプテスト良心理由として応じなかったため、ウィリアムズ船上では各宗派の自由が認められているが、進路決定し船内正義秩序を守るのは船長であり、船長士官への反抗船員義務不履行などに対して権力正当に行使されなければならない反論したが、良心的兵役拒否問題その後鎮まることなくウィリアムズは「私たち求めているのはただの放縦Licence)にすぎません」と批判した1660年マサチューセッツ植民地警告無視して入国したクエーカー教徒絞首刑処しニューイングランド植民地連合ロードアイランド植民地にもクエーカー弾圧を行うように要請したが、ロードアイランド植民地拒否した一方ウィリアムズクエーカー創始者ジョージ・フォックス批判しクエーカー教徒すべての人に上下別なく汝(Thou)と呼んだり、男性長髪にしたり、女性公衆の前で裸になること、国家法廷敬意払わないこと、挨拶もしないことは反社会的な行為であり、これへの市民的制裁宗教的迫害でなく、神が課した責務であり命令だとした が、それまで寛容思想矛盾していると批判された。1663年ロードアイランド植民地イングランド本国より正式な自治権認可され信教の自由特許条に明記された。ウィリアムズ晩年盗賊海賊反乱者たち除けばこの世には政府服従しない者は一人もいない。その盗賊海賊反乱者たちですら、彼らの間で何らかの取り決め統治なければ一緒にやっていくことはできない。 と国家への服従租税義務主張した

※この「ロジャー・ウィリアムズとプロビデンス植民地」の解説は、「アメリカ合衆国における政教分離の歴史」の解説の一部です。
「ロジャー・ウィリアムズとプロビデンス植民地」を含む「アメリカ合衆国における政教分離の歴史」の記事については、「アメリカ合衆国における政教分離の歴史」の概要を参照ください。

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