ロジャー・ウィリアムズとプロビデンス植民地
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「アメリカ合衆国における政教分離の歴史」の記事における「ロジャー・ウィリアムズとプロビデンス植民地」の解説
ニューイングランドに入植した分離派の神学者ロジャー・ウィリアムズは1631年にマサチューセッツに移住し、国教会からの完全な分離を唱えた。しかし、総会議で追放されたので、1636年にプロビデンスに入植しプロビデンス植民地を建設した。1638年にはアン・ハッチンソンが神の恩恵の直接的体験を唱えたため裁判で異端判定を受けてマサチューセッツを逃れ、ウィリアムズのすすめてアクィドネック島(ポーツマス)に入植した。 ウィリアムズのプロヴィデンス入植誓約文は、家長会議の権限と政治権力の適用範囲を、宗教を除く世俗的な事柄のみ(only in ciuill things) に限定する史上初の政教分離文書となった。このため、ウィリアムズは、政教分離と信仰の自由の保障という近代民主主義の基本原則を現実の政治において実現したとされる。 ウィリアムズは1644年の著作で、宗教戦争は平和の王イエスは容認しないし、信仰上の理由による迫害を正当化した「政教提携論者」としてカルヴァン、ベーズ、ジョン・コットンらを批判した。ウィリアムズは同年の1644年、ハッチンソンらのポーツマス植民地や、クエーカーの植民地とロードアイランド植民地を統合してロードアイランド及びプロビデンス植民地とし、総督は住民の選挙で選ばれ、政教の分離が定められた。 1647年の著作でウィリアムズは、 現世の国家はすべてそれぞれの基本体制と統治機構の中に司法官を置いているが、本質的に宗教に関わりのないものであることが明らかなので、魂の世界・キリスト教の世界や礼拝の方法について裁定、管理、擁護を行ってはならない。最も異教的な信仰や礼拝、ユダヤ教、イスラム教、反キリスト的な信仰礼拝でさえも、すべての人々に分け隔てなく許し認めることは神の御意思であり、御命令である。 と主張し、キリスト教内の宗派だけでなく、他教との共存を主張した。1652年の著作でもウィリアムズは「世俗権力は人々の魂を強制して、ある種の礼拝を禁止したり、ある種の礼拝を強制したりすることはできない」とし、「すべての人々の良心を自由かつ絶対的に認めること、この場合、ユダヤ人やトルコ人、カトリック教徒や異教徒の良心も除外してはならない」と主張し、ウィリアムズの良心の自由論はロードアイランド植民地でアメリカ先住民にまで及んだ。しかし、信教の自由を保障したロードアイランド植民地には土地の利権を目当てにした入植者もあり、ゴースタッドは「すべての人を歓迎したことで、結局すべての人が来てしまった」と述べたり、周囲の植民地からは「ろくでなし連中」の集まる「下水溝」と見なされるほどの混乱を生じた。コディントンがイングランド本国に働きかけて独裁的な終身総督に就任したのを阻止するためにウィリアムズは本国やマサチューセッツ湾植民地総督へ交渉した。また、周辺の植民地から領土的な野心に狙われたプロビデンスで自衛軍の訓練が必要になった時、バプテストは良心を理由として応じなかったため、ウィリアムズは船上では各宗派の自由が認められているが、進路を決定し船内の正義と秩序を守るのは船長であり、船長や士官への反抗、船員の義務の不履行などに対しては権力が正当に行使されなければならないと反論したが、良心的兵役拒否の問題はその後も鎮まることなく、ウィリアムズは「私たちが求めているのはただの放縦(Licence)にすぎません」と批判した。 1660年、マサチューセッツ植民地が警告を無視して再入国したクエーカー教徒を絞首刑に処し、ニューイングランド植民地連合はロードアイランド植民地にもクエーカー弾圧を行うように要請したが、ロードアイランド植民地は拒否した。一方、ウィリアムズはクエーカーの創始者ジョージ・フォックスを批判し、クエーカー教徒がすべての人に上下の別なく汝(Thou)と呼んだり、男性が長髪にしたり、女性が公衆の前で裸になること、国家や法廷に敬意を払わないこと、挨拶もしないことは反社会的な行為であり、これへの市民的制裁は宗教的迫害でなく、神が課した責務であり命令だとした が、それまでの寛容思想と矛盾していると批判された。1663年、ロードアイランド植民地はイングランド本国より正式な自治権を認可され、信教の自由も特許条に明記された。ウィリアムズは晩年、 盗賊や海賊や反乱者たちを除けば、この世には政府に服従しない者は一人もいない。その盗賊や海賊や反乱者たちですら、彼らの間で何らかの取り決めや統治がなければ一緒にやっていくことはできない。 と国家への服従と租税義務を主張した。
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