ロジャー・ウィリアムズの政教分離思想
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「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「ロジャー・ウィリアムズの政教分離思想」の解説
1631年にニューイングランドのマサチューセッツ湾植民地へ移住した牧師ロジャー・ウィリアムズは宗教的寛容の思想を説いたうえ、アメリカ最初期のバプテスト教会を創設した。マサチューセッツで迫害を受けてそこを逃れたウィリアムズは、1636年に現在のロードアイランド州プロビデンスにおいて同じ境遇の友人たちとともに新しい植民地の建設を構想したうえ、ユダヤ教徒も対象に含めた信教の自由を実現すべく1644年に本国政府から特許状を取得し、北米植民地で初の信仰の自由と政教分離を保障する自治領植民地であるロードアイランド植民地を成立させた。そこでは「公共の事項」における多数決原則と「良心の自由」を定めた憲法が制定されたほか、「分離の壁」という用語を用いて政教関係を説明し、ロードアイランドでは実際に聖職者に対して公的資金を投入することなく、安定したかたちで教会と政府の分離が実現している。 ウィリアムズにとって国家は「本質的に市民的」なものである一方、教会は「信徒たちの結社であり、医師会や同業者組合と同じ性質」のものだとしており、のちに同様の見解を示したジョン・ロックにとっても信教の自由は、異教徒であるネイティブ・アメリカンやユダヤ人、あるいは無神論者をも含むすべての人のものだったのである。万人に有効な市民法は宗教的規範からは明確に区別されるべきだというロックの政教分離思想は多文化主義的な風土において実験的に試みられ、後世にはトマス・ジェファーソンらに引き継がれて改良されることとなった。
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