ロジャーズ案とは? わかりやすく解説

ロジャーズ案

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 03:12 UTC 版)

米以関係」の記事における「ロジャーズ案」の解説

1970年6月19日ウィリアム・P・ロジャーズ国務長官継続中消耗戦争鎮静化するため、90日間停戦スエズ運河両側軍事的停戦地帯設けるロジャーズ案を公式に提案した。それはイスラエル1967年占領した地域からの撤退求め両国相互主権独立認め国連決議242号の枠組み基づいた合意に至るための努力であったエジプト人はロジャーズ案を受け入れたが、イスラエルでは国内世論分裂し履行しなかった。彼らは連立政権内部から満足な支持得られなかった。その年の初め労働者階級中心左派政党連合アラインメント国連決議242号と撤退のための平和を公式に受け入れたのに対しメナヘム・ベギン右派政党ガハルはパレスチナ地域からの撤退断固反対し、政権第2党1970年8月5日政権から離脱した究極的には、ロジャーズ案はニクソンからも満足な支持得られ失敗終わったイニシアティブ求めないヘンリー・キッシンジャー国家安全保障担当大統領補佐官のほうが好まれたからである。 1972年ソビエト技術指導者がエジプトから引き揚げるという予想もしなかったことが起きたサーダート大統領就任後大きな変化起こらず、また再びワシントン交渉意思ありとのシグナル送った外交前線において進展欠如直面しエジプトとの軍事的紛争備えニクソン政権にもっと介入的になるよう望んだ1973年10月エジプトとシリアアラブ諸国支援得て1967年戦争以後占領され領土奪還するためイスラエル軍攻撃し、こうしてヨム・キプール戦争始まった情報によると攻撃エジプトとシリアからのものであったが、ゴルダ・メイア首相先制攻撃をしないという物議を醸す決断をした。メイアには他の懸念材料よりも、イスラエル唯一信頼するアメリカイスラエルがまた新たな戦争始めた思った助け来てくれるだろうかというアメリカへの不信があった。振り返ってみると、先制攻撃をしないという決断はおそらく有効なのである思われた。のちに、ヘンリー・キッシンジャー国務長官語ったところによると、イスラエル先制攻撃しても「やりすぎだ」とは受け取らなかっただろうと回想している。1973年10月6日ユダヤ人ヨム・キプール休日に、エジプトとシリアアラブ援軍ソ連後押しとともにイスラエル対す一斉攻撃開始した。この結果起きた紛争ヨム・キプール戦争として知られる始めのうち、エジプト軍イスラエル防衛線を突破してシナイ半島進軍しスエズ運河東側海岸拠点築いたが、その後シリアからイスラエル軍一掃しようとしたときの大きな戦車戦撃退された。そしてイスラエル軍スエズ運河渡った大きな戦闘両軍巨大な損失被った。それと同時にシリアゴラン高原イスラエルの薄い守りをほとんど突破しようとしていた。しかし、実際にイスラエル援軍によって押し返され逆にイスラエル軍シリア領内突入したイスラエル制空権制海権奪い返していた。戦争突入すると、メイアイスラエル核兵器組み立て承認した。これはアメリカ注意惹くため、公然と行われたが、メイアはもしアラブ軍事技術イスラエルより大きく先行することに成功すればエジプトシリア目標物使用することをも承認していた。ソビエトアラブ諸国軍隊、主にシリアへの兵器供給再開したゴルダ・メイアニクソン大統領武器供給支援求めたヘンリー・キッシンジャー国務長官ニクソンに「イスラエルに血を流させよう」と語った3年後キッシンジャーニューヨーク・タイムズ物資空輸遅らせた理由について、彼が考えめぐらせていた冷戦外交和らげるために「イスラエル十分な血を流す」のを見たかったからだと述べた。しかし、ニクソン大統領はときに「イスラエルを守る空輸作戦」と呼ばれるイスラエル武器物資供給する大規模な戦略的空輸作戦(鋼の草原作戦 )を開始した。しかし、イスラエル支援到達するまでに勢力挽回していた。 アメリカソビエトは再び中東紛争巻き込まれるのを恐れていた。ソビエトイスラエル停戦ライン超えた場合エジプトに代わって軍事介入するとほのめかしアメリカデフコンレベルを4から平和時の高レベルである3に引き上げた。これはイスラエルスエズ運河東側エジプト第3陸軍に罠を仕掛け追い込んだためである。 キッシンジャーエジプト陸軍イスラエル攻撃から逃れられかどうかは完全にアメリカ次第であるという状況アメリカにとって絶好機会であることを理解した。このことはその後アメリカ紛争仲介し、またエジプトからソ連影響排除することを可能にした。その結果アメリカイスラエルに罠にはめたエジプト陸軍対し攻撃しないよう強い圧力加えた電話イスラエルのシムハ・ディニツ大使話したキッシンジャーは、大使に対してエジプト第3陸軍攻撃することは「存在してならない選択肢」だと語ったエジプトその後支援の要求撤回しソビエトはこれに応じた戦後キッシンジャーイスラエルアラブ領からの撤退迫り、このことはイスラエルエジプトひとときの平和をもたらした戦時におけるアメリカイスラエル支援1973年から1974年までOPECによる石油禁輸というアメリカへの報復招いた

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