ロジャーノミクスのその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:35 UTC 版)
「ロジャーノミクス」の記事における「ロジャーノミクスのその後」の解説
ロンギ政権の混沌とした政局はダグラスの更迭だけに留まらず、有力議員の離党など労働党内部の解体が進み、苦境に立たされたロンギは首相を辞任する。後任の首相には、ジェフリ・パルマーが就任した。この政局の中行われた1990年総選挙では、ジム・ボルジャー率いるニュージーランド国民党が勝利し与野党は逆転する。労働党は半数近くの議席を失い野党へ転落した。更迭されたダグラスは総選挙へは出馬せず政局を見守った。 ボルジャー政権は早すぎたロジャーノミクスを修正するも、経済政策の基本路線はロジャーノミクスを継承した。ボルジャーは財務大臣に弁護士出身の女性政治家ルース・リチャードソンを起用した。リチャードソンはロジャーノミクスの修正を行いつつ行財政改革を継続し、その政策はルースの名をとり“ルサナシア(Ruthanasia)”と呼ばれた。 ボルジャー政権は社会保障制度改革を進め、労働党政権では批判を受けた国有資産の売却へ着手する。鉄道会社のニュージーランド・レールをアメリカ資本へ売却、金融部門(郵便銀行)をオーストラリア資本へ売却、テレビ局のチャンネル3をカナダ資本へ売却するなどロジャーノミクスが成し得なかった政策を実行に移した。
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