ルアーヴルとは? わかりやすく解説

ル‐アーブル【Le Havre】

読み方:るあーぶる

フランス北西部セーヌ川河口北岸にある工業都市。大貿易港をもち、大西洋航路発着地石油化学工業が盛ん。2006年市街一部が「ルアーブル、オーギュスト=ペレによる再建都市」として世界遺産文化遺産)に登録された。


ル・アーヴル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 05:40 UTC 版)

Le Havre

行政
フランス
地域圏 (Région) ノルマンディー地域圏
(département) セーヌ=マリティーム県
(arrondissement) ル・アーヴル郡
小郡 (canton) 9
INSEEコード 76351
郵便番号 76600,76610,76620
市長任期 エドゥアール・フィリップ
2020年 - 2026年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de l'agglomération havraise
人口動態
人口 172 807人
2014年
人口密度 3,681人/km2
住民の呼称 Havrais
地理
座標 北緯49度29分 東経0度06分 / 北緯49.49度 東経0.1度 / 49.49; 0.1座標: 北緯49度29分 東経0度06分 / 北緯49.49度 東経0.1度 / 49.49; 0.1
標高 平均:?
最低:0m
最高:105m
面積 市:46.95km2 (4,695ha)
Le Havre
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ル・アーヴルの街並
ル・アーブル中心部
クロード・モネが1872年にル・アーブル港を描いた『印象・日の出

ル・アーヴルフランス語: Le Havre)は、フランス北西部の大西洋に臨む港湾に位置する都市セーヌ川右岸の河口にあたり、ルーアンを首都とするノルマンディー地域圏セーヌ=マリティーム県に属する。港湾の規模はマルセイユに次ぎ、大西洋岸ではフランス第1位の規模である。

対岸のオンフルールとの間には、1995年ノルマンディー橋が架けられた。

2005年、戦後再建された中心部の街並みが「オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル」としてユネスコ世界遺産文化遺産)に登録された。

歴史について

古い港が泥の堆積のため使用できなくなったため、1517年に建市され、当初はフランソワ1世にちなんでフランシスコポリスと命名された。その後まもなく、ル・ポール・ド・グラース(Le Port de Grace)やル・アーヴル・ド・グラース(Le Havre de Grace)などと呼ばれるようになった。アーヴル(Havre、男性名詞)は現代では一般的には使われないが、中期フランス語で港を意味する[1]。つまり、どちらの名称も「グラースの港」を意味したが、これは港の近くにあったノートル=ダム=ド=グラース礼拝堂(la chapelle de Notre-Dame-de-Grâce)にちなんでいる[2]

第一次世界大戦中の1914年10月13日から1918年11月にかけ、ドイツに国土の大半を占領されたベルギーの政府は、ル・アーヴルの北西近郊のサン=タドレス(Sainte-Adresse)に移転して活動した(第一次世界大戦期のベルギー亡命政府)。

第二次世界大戦中、ノルマンディー上陸作戦から続くアストニア作戦艦砲射撃空爆で破壊され、戦後「鉄筋コンクリートの巨匠」とも呼ばれた建築家オーギュスト・ペレによって再建された。

2020年6月に行われた市長選挙では、現職首相のエドゥアール・フィリップが出馬、当選を果たした。制度上、フランスの首相と市長の兼務も可能ではあったが、7月3日には大統領に辞表を提出。市長職に専念することとなった[3]

名称について

ル・アーヴルのル(le)は、フランス語の男性形定冠詞であり、前置詞と結合することがある。たとえば前置詞àと結合するとau(オ)となるため、ル・アーヴルはオ・アーヴル(au Havre)に変化する。前置詞"de"なら"du"(デュ)で、デュ・アーヴル(du Havre)である。なお、H(アッシュ)が無音であればエリジヨンを起こし「ラーヴル」となるが、この場合"Havre"はゲルマン系の語彙(英語の"haven"と同根)であり有音なので「ルアーヴル」と読む。

姉妹都市

出身者

脚注

  1. ^ Algirdas Julien Greimas & Teresa Mary Keane, Dictionnaire du moyen français, Larousse, 1992 / 2001
  2. ^ A. Dauzat & Ch. Rostaing, Dictionnaire étymologique des noms de lieux en France , Paris : Larousse, 1963
  3. ^ フランスのフィリップ内閣総辞職 大統領府発表”. AFP (2020年7月3日). 2020年7月3日閲覧。
  4. ^ 中野京子『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ』NHK出版、2011年、13頁。ISBN 978-4-14-088350-1 

関連項目

外部リンク


ル・アーヴル(少年時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:30 UTC 版)

クロード・モネ」の記事における「ル・アーヴル(少年時代)」の解説

1840年11月14日パリ9区ラフィット街(英語版)で、父アドルフと母ルイーズとの間の二男として生まれた父親職業ははっきり分かっていない。出生時フルネームは、オスカルクロード・モネ(Oscar-Claude Monetであったが、のちに本人クロード・モネ名乗っている。 1845年ごろ、一家ノルマンディー地方セーヌ河口の街ル・アーヴルに移住した。ここでは、父の義兄ジャック・ルカードルが富裕な雑貨卸業営んでいた。モネは、少年時代大半をル・アーヴルで過ごすことになる。これ以降も、モネ生涯のほとんどをセーヌ川沿いの町で過ごすことになり、のちに自ら「セーヌ。私は生涯この川を描き続けたあらゆる時刻に、あらゆる季節に、パリから海辺まで、アルジャントゥイユポワシーヴェトゥイユジヴェルニールーアン、ル・アーヴル……」と回想している。 1851年4月1日、ル・アーヴルの公立中学校入学したモネは、学校抜け出して外で遊び回るのが好きな少年であった。彼はのちに、次のように回想している。 私は生まれた時からきかん坊であった誰も、私をどのような規律にも従わせることはできなかった。私が学んだわずかなことは、みな独り学んだのだ。……外には親しげ太陽輝き美しい海が広がっていて、澄んだ空気の中で海辺走り回ったり、水の中飛び込んだりできるというのに、4時間もじっと座っていることなど、とても私にはできなかった。 モネ少年ころから絵画巧みで、10代後半のころには自分描いた人物のカリカチュア戯画)を地元文具店の店先置いてもらっていた。カリカチュア注文を頼む者も現れ最初10フラン、のちに20フラン引き受けたデッサン教師ジャック=フランソワ・オシャール授業受けている。1857年1月28日母親死去したモネは、同じころ学業放棄したが、叔母マリー=ジャンヌ・ルカードルが彼をアトリエ入れデッサン勉強続けさせた。 1858年ごろ、モネ描いていたカリカチュアが、ル・アーヴルで活動していた風景画家ウジェーヌ・ブーダンの目にとまり、2人知り合ったブーダンは、それまでアトリエ制作するのが当たり前だったキャンバス戸外持ち出し陽光の下で海や空の風景描いていた画家であったブーダンから、カリカチュアばかり描くのをやめ、油絵勉強しよう誘われたことから、モネ油絵取り組み始め画家としての一歩踏み出したブーダンとともにル・アーヴル北東ルエルフランス語版)に赴いて制作し油絵ルエル眺め』をル・アーヴル市展覧会出品した戯画、1855 - 56年ごろ。61.2 × 45.2 cmシカゴ美術館。 『ルエル眺め1858年油彩キャンバス46 × 65 cm丸沼芸術の森コレクション

※この「ル・アーヴル(少年時代)」の解説は、「クロード・モネ」の解説の一部です。
「ル・アーヴル(少年時代)」を含む「クロード・モネ」の記事については、「クロード・モネ」の概要を参照ください。

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