ル・アーヴル攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/27 05:23 UTC 版)
9月10日17時45分に攻撃が開始され、2隻の軍艦は港を守る海岸砲台と交戦し、イギリス空軍の爆撃機はふたつの師団が攻撃を行なう前の90分間で約5,000トンの爆弾を投下した。攻撃は2段階に分けられ、第1段階はドイツ軍の防御陣地を突破しさらに攻撃を可能にすること、第2段階は攻撃部隊が市街地を占領するというものだった。第1段階の攻撃を迅速に進めるためにイギリス第79機甲師団(英語版)及びカナダ第1装甲輸送連隊のカンガルー装甲兵員輸送車とシャーマンフレイル(地雷処理処理車)運用部隊の援助を得て、地雷原の地雷除去と対戦車濠を突破した。第49(ウェスト・ライディング)歩兵師団がル・アーヴル北東周辺部を最初に突破し、第51(ハイランド)歩兵師団が続いた。この攻撃で第79機甲師団はシャーマンフレイル29輌とチャーチルAVRE6輌の特殊装甲車両を失った。 第1段階の攻撃は2日目も航空機と装甲車両の支援を受けながら続き、ドイツ軍外郭防衛線の最後の防衛拠点もチャーチル・クロコダイルの投入を恐れて、ついには14時00分過ぎに投降した。3日目にはふたつの師団の部隊は市街中心部を攻撃し、ドイツ軍ル・アーヴル駐屯部隊の指揮官は11時45分に正式に降伏し、12,000人の将兵は捕えられ捕虜として抑留された。
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