メヌード後 − ソロ活動とは? わかりやすく解説

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メヌード後 − ソロ活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 09:13 UTC 版)

ドラコ・ロサ」の記事における「メヌード後 − ソロ活動」の解説

バンド脱退後、しばらくブラジルに身を置き、ポルトガル語2枚ソロアルバムリリース1988年ロサ映画サルサ/灼熱のふたり』で主演勤める。この映画通してロサは妻のアンジェラ・アルヴァラードに出会う1990年、しばらくの休養をとった後、ロサオルタナティヴ・ロック・バンド「マギーズ・ドリーム(Maggie’s Dream)」を結成キャピトル・レコードよりアルバム『マギーズ・ドリーム(Maggie’s Dream)』をリリースフェイス・ノー・モアフィッシュボーン等とツアーをまわりスポットライト浴びるものの、その後バンドはすぐに活動休止1993年ロサソニー・ミュージックレーベル契約を結び、ソロ・アーティストとして活動再開1994年3月アルバム『Frio』をリリース。このアルバムソングライティングスペイン行われたまた、このソロ・レコーディング合間ロサリッキー・マーティンアルバム共同プロデュースし、ほとんどの曲を共作した。結果アルバムリッキー・マーティン原題:A Medio Vivir)』からは大ヒット・シングル、『マリアMaria)』が生まれアルバム300万枚を超す売り上げとなり、ビルボードトップ10入りを果たす。 1995年末、『Frio』に続く新作レコーディングのため、ロサイギリスに向かう。ロキシー・ミュージックフィル・マンザネラプロデューサ迎え1996年6月アルバム『Vagabundo』はリリースされた。このアルバムからのシングル「Madre Tierra」は大ヒットし、このPVはラテン・ミュージック・アワードのベスト・ロック・ビデオ部門受賞1997年、『Vagabundo』リリースに伴うワールド・ツアーを行うなか、再び朋友リッキー・マーティンアルバムの制作着手ロサは自らをイアン・ブレイク(Ian Blake)と名乗りアルバム『ヴェルヴェ(原題:Vuelve)』の楽曲プロデュース手掛けた。このアルバム日本だけでも20万枚以上を売り上げ全世界800万枚売り上げたプラチナ・レコードとなったロサはイアン・ブレイクの名で、引き続きリッキー・マーティン次作を再びプロデュース1999年発表されたこのアルバムリッキー・マーティン ~ヒア・アイ・アム~(原題Ricky Martin)』はリリース同時に全米1位になり、トータル2000万枚以上を売り上げた。このアルバムからは、ロサ作曲自体手掛けたシングルリヴィン・ラ・ヴィダ・ロカLivin' la Vida Loca)」が全米1位のヒット記録した日本では郷ひろみ日本語詞にのせたカバーGOLDFINGER '99」でヒットした。 この時期プロデュース業徹していたロサは、その後マーティンヒット曲シーバングス!!(She Bangs)」などを手掛け、またフリオ・イグレシアスなど、多くアーティストプロジェクト楽曲提供プロデュースを行う。 2004年アルバム『マッド・ラヴ(Mad Love)』をリリースまた、このアルバムからのシングル「クラッシュ・プッシュ(Crash Push)」は2004年のベスト・ビデオ部門ラテン・グラミー賞受賞。この夏、ロサツアーレニー・クラヴィッツと共に行う。6月にはアルバムプロモーションのため、久々に来日日本テレビ番組@サプリッ!』やラジオ番組等に出演しライヴも行う。この当時ラコステキャンペーン・キャラクターであったロサは、来日中も日本ラコステ用にファッション雑誌テレビ等でキャンペーン行った12月ロサプエルトリコにて、2万人近いオーディエンス集客するスタジアム凱旋ライヴ行った2005年リリースされライヴCDDVDの『Draco al Natural』にその様子は収められている。 2007年ソニー・ミュージックとの契約を終わらせ、ロサは自らのプロダクションPHANTOM VOXより、アルバムVino』をリリースいくつかの国では、このアルバムは『Y El Teatro Del Absurdo』の名義リリースされた。 2008年ライブアルバムCDDVDTeatro Live』をリリース2009年、このアルバムラテン・グラミー賞でベストロックアルバム賞を受賞同年12月アルバムMor Vincit Omnia』を発売。このアルバムロサ一度離れた古巣ソニーと、ライセンシングディストリビューションの面で再び契約2011年、このアルバムで、再び第53回グラミー賞ベストラテンロックにノミネートこの年悪性リンパ腫発見される癌治療行いながら、8月にニュー・アルバムのレコーディング開始2012年スタジオ看護婦立ち会いながらおおよそヶ月間に及んで制作されアルバム完了アルバム16曲すべてにゲストシンガーをフィーチャリングし、リッキー・マーティンシャキーラマーク・アンソニーフアン・ルイス・ゲラといった大物たちを迎えて制作されアルバムは、スペイン語で「人生」を意味するVIDA』と命名された。また12月には闘病生活終止符打たれ復帰宣言した2013年4月に『VIDA』がリリース直後アルバムビルボードチャートのトップ・ラテン・アルバムで1位を獲得。さらに11月にはラテン・グラミー賞において、最優秀アルバム賞(アルバム・オブ・ザ・イヤー)を受賞。この直後癌の再発メディア報道されるその後ワールド・ツアー急遽キャンセルされた。 2014年世界で売れ上げ伸ばしプラチナ・レコードに認定されアルバムVIDA』は、再び第56回グラミー賞のベスト・ラテン・ポップ・アルバム部門グラミー受賞

※この「メヌード後 − ソロ活動」の解説は、「ドラコ・ロサ」の解説の一部です。
「メヌード後 − ソロ活動」を含む「ドラコ・ロサ」の記事については、「ドラコ・ロサ」の概要を参照ください。

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