メヌード後 − ソロ活動
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「ドラコ・ロサ」の記事における「メヌード後 − ソロ活動」の解説
バンド脱退後、しばらくブラジルに身を置き、ポルトガル語で2枚のソロアルバムをリリース。 1988年、ロサは映画『サルサ/灼熱のふたり』で主演を勤める。この映画を通してロサは妻のアンジェラ・アルヴァラードに出会う。 1990年、しばらくの休養をとった後、ロサはオルタナティヴ・ロック・バンド「マギーズ・ドリーム(Maggie’s Dream)」を結成。キャピトル・レコードよりアルバム『マギーズ・ドリーム(Maggie’s Dream)』をリリース。フェイス・ノー・モアやフィッシュボーン等とツアーをまわりスポットライトを浴びるものの、その後バンドはすぐに活動を休止。 1993年、ロサはソニー・ミュージックとレーベル契約を結び、ソロ・アーティストとして活動を再開。 1994年3月、アルバム『Frio』をリリース。このアルバムのソングライティングはスペインで行われた。また、このソロ・レコーディングの合間、ロサはリッキー・マーティンのアルバムを共同プロデュースし、ほとんどの曲を共作した。結果、アルバム『リッキー・マーティン(原題:A Medio Vivir)』からは大ヒット・シングル、『マリア(Maria)』が生まれ、アルバムは300万枚を超す売り上げとなり、ビルボードトップ10入りを果たす。 1995年末、『Frio』に続く新作のレコーディングのため、ロサはイギリスに向かう。ロキシー・ミュージックのフィル・マンザネラをプロデューサに迎え、1996年の6月にアルバム『Vagabundo』はリリースされた。このアルバムからのシングル「Madre Tierra」は大ヒットし、このPVはラテン・ミュージック・アワードのベスト・ロック・ビデオ部門を受賞。 1997年、『Vagabundo』リリースに伴うワールド・ツアーを行うなか、再び朋友リッキー・マーティンのアルバムの制作に着手。ロサは自らをイアン・ブレイク(Ian Blake)と名乗り、アルバム『ヴェルヴェ(原題:Vuelve)』の楽曲やプロデュースを手掛けた。このアルバムは日本だけでも20万枚以上を売り上げ、全世界で800万枚を売り上げたプラチナ・レコードとなった。 ロサはイアン・ブレイクの名で、引き続きリッキー・マーティンの次作を再びプロデュース。1999年に発表されたこのアルバム『リッキー・マーティン ~ヒア・アイ・アム~(原題:Ricky Martin)』はリリースと同時に全米1位になり、トータルで2000万枚以上を売り上げた。このアルバムからは、ロサが作曲自体を手掛けたシングル「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ(Livin' la Vida Loca)」が全米1位のヒットを記録した。日本では郷ひろみが日本語詞にのせたカバー「GOLDFINGER '99」でヒットした。 この時期、プロデュース業に徹していたロサは、その後もマーティンのヒット曲「シー★バングス!!(She Bangs)」などを手掛け、またフリオ・イグレシアスなど、多くのアーティストやプロジェクトで楽曲提供、プロデュースを行う。 2004年、アルバム『マッド・ラヴ(Mad Love)』をリリース。また、このアルバムからのシングル「クラッシュ・プッシュ(Crash Push)」は2004年のベスト・ビデオ部門でラテン・グラミー賞を受賞。この夏、ロサはツアーをレニー・クラヴィッツと共に行う。6月にはアルバムのプロモーションのため、久々に来日。日本テレビの番組『@サプリッ!』やラジオ番組等に出演し、ライヴも行う。この当時、ラコステのキャンペーン・キャラクターであったロサは、来日中も日本のラコステ用にファッション雑誌、テレビ等でキャンペーンを行った。12月、ロサはプエルトリコにて、2万人近いオーディエンスを集客するスタジアムで凱旋ライヴを行った。2005年にリリースされたライヴCD/DVDの『Draco al Natural』にその様子は収められている。 2007年、ソニー・ミュージックとの契約を終わらせ、ロサは自らのプロダクションのPHANTOM VOXより、アルバム『Vino』をリリース。いくつかの国では、このアルバムは『Y El Teatro Del Absurdo』の名義でリリースされた。 2008年、ライブアルバムCD/DVD『Teatro Live』をリリース。2009年、このアルバムはラテン・グラミー賞でベストロックアルバム賞を受賞。同年12月、アルバム『Mor Vincit Omnia』を発売。このアルバムでロサは一度離れた古巣ソニーと、ライセンシングとディストリビューションの面で再び契約。2011年、このアルバムで、再び第53回グラミー賞ベストラテンロックにノミネート。この年悪性リンパ腫が発見される。癌治療を行いながら、8月にニュー・アルバムのレコーディングを開始。 2012年、スタジオに看護婦が立ち会いながらおおよそ7ヶ月間に及んで制作されたアルバムが完了。アルバム16曲すべてにゲストシンガーをフィーチャリングし、リッキー・マーティン、シャキーラ、マーク・アンソニー、フアン・ルイス・ゲラといった大物たちを迎えて制作されたアルバムは、スペイン語で「人生」を意味する『VIDA』と命名された。また12月には闘病生活に終止符が打たれ、復帰を宣言した。 2013年、4月に『VIDA』がリリース。直後にアルバムはビルボードチャートのトップ・ラテン・アルバムで1位を獲得。さらに11月にはラテン・グラミー賞において、最優秀アルバム賞(アルバム・オブ・ザ・イヤー)を受賞。この直後、癌の再発がメディアに報道される。その後のワールド・ツアーは急遽キャンセルされた。 2014年、世界で売れ上げを伸ばしプラチナ・レコードに認定されたアルバム『VIDA』は、再び第56回グラミー賞のベスト・ラテン・ポップ・アルバム部門でグラミーを受賞。
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