メヌード期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 09:13 UTC 版)
幼少期にニューヨークからプエルトリコに移住し、1984年よりメヌードのシンガーとして活動。ロサは英語を第一言語とする初のメヌードメンバーであったため、彼の加入後バンドの人気はスペイン語圏以外の国々でも加速する。 アルバム『ハロー!メヌード(原題:Reaching Out)』はグループ初の英語での作品となり、シングル「ライク・ア・キャノンボール(Like A Cannonball)」はハリウッド映画『キャノンボール2』に使用された。さらにグラミー賞ラテンアワードに入賞し、ロサはマイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズが受賞した際のプレゼンターも担当した。 1985年3月、メヌードは新メンバーにリッキー・マーティンを加え初来日。日本武道館でコンサートを行い、第14回東京音楽祭に出演し、銀賞(3位)に入賞。来日中にロッテのチョコレートカントリーのテレビCMにも出演。また、『Explosion Concert Tour』ツアーで、同年10月に再び来日。来日中、NHK『スペイン語講座』などいくつかのテレビ番組にも出演した。 1986年、再び来日。新たにロッテのテレビCMを撮影し、テレビ番組等に出演するもコンサートは行われなかった。この年、メヌードは英語、スペイン語、ポルトガル語でアルバムをリリース。 1987年、ブラジルツアーの途中で、突然グループを脱退。以前より、ロサはバンドのマネージメントに疑問と不満を募らせており、またロサは曲を書く権利を与えられずこれが決定的な亀裂を生じる結果となった。
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