マラッカ王国の繁栄とヨーロッパ人の進出とは? わかりやすく解説

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マラッカ王国の繁栄とヨーロッパ人の進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:40 UTC 版)

マラッカ海峡」の記事における「マラッカ王国の繁栄とヨーロッパ人の進出」の解説

15世紀における海峡最大貿易港ムラカマラッカ)であり、中継貿易繁栄した港市国家マラッカ王国の主要港としてにぎわったムラカ港務長官は4人おり、第一長官インド西海岸グジャラート州第二長官南インドベンガル州およびビルマミャンマー)、第三長官東南アジア島嶼部第四長官中国(明)、琉球王国チャンパーそれぞれ担当地域とした。ムラカは、商人船員通訳港湾労働者、人や物流管理する吏員船乗り商人相手をする遊女などでにぎわった16世紀初頭ポルトガル人トメ・ピレス(英語版)の『東方諸国記(ポルトガル語版)』によればムラカ港市には、カイロ・メッカ・アデンのムスリムアビシニア人エチオピア人)、キルワマリンディなどアフリカ大陸東岸人びとペルシャ湾沿岸ホルムズの人、ペルシャ人ルーム人(ギリシャ人)などを列挙したうえで、「62の国からの商人集まり84もの言葉話されている」と記している。こうした繁栄知ったポルトガル人1511年16隻の軍艦でこの町を攻撃占領してポルトガル海上帝国主要拠点のひとつとした。1498年ヴァスコ・ダ・ガマインド航路「発見」してから15年足らずのことであったその後マラッカ海峡両岸は、ポルトガルスマトラ島北端部のアチェ王国マレー半島南部リアウ諸島基盤を置くジョホール王国三者合従連衡繰り返してマラッカ海峡交易の利を独占しようとし(「三角戦争」)、17世紀前半にはアチェ王国優位に立ってアチェ全盛時代築いたが、最終的には、新規参入者であったオランダマラッカ王国末裔であったジョホール王国とが連合し1641年ポルトガル勢力駆逐しムラカオランダ占領するところとなった。しかし、ムラカマラッカ)は貿易港としては衰退し17世紀後半には海上民を統制し。オランダ・アチェとも良好な関係を構築したジョホール王国ジャンビ王国抗争しながら全盛期をむかえ、東西交易中継として繁栄した海峡地帯にはマレー人はじめスマトラ内陸部ミナンカバウ人スラウェシ島南部ブギス人など東南アジア各地諸民族中国人インド人アラビア人ペルシア人ヨーロッパ人日本人など数多く人種・民族住んだムラカその後19世紀初頭ナポレオン戦争の際にはイギリスによって占領された。ムラカはいったんオランダに返還されたが、1824年イギリスオランダとのあいだに英蘭協約結んでマレー半島側をイギリス勢力圏スマトラ島側をオランダ勢力圏とした。 1869年スエズ運河開通後は、それまでスマトラ島ジャワ島間のスンダ海峡利用していた船舶も、その多くマラッカ海峡利用するようになり、いっそう重要性増したまた、特にマレー半島側の鉱業農業における大規模開発促しペナンシンガポールの両港の発展もたらされた。 その一方でオランダ東インド政庁1871年スマトラ条約によってイギリス干渉排除し1873年海峡安全確保名目アチェ王国保護領化企図して王国への侵攻開始した。これがアチェ戦争であるが、アチェ人々頑強な抵抗により、オランダ軍スマトラ全土制圧したのは1912年を待たなければならなかった。これにより現在のインドネシア全域オランダの植民地となったいっぽう現在のマレーシア相当する英領マレー連合州が成立したのは1896年のことである。 第二次世界大戦時イギリス軍日本軍放逐され終戦に至るまで日本軍の占領下におかれた。終戦後イギリスオランダ国力低下したことを受け、インドネシアオランダ領、マレー連合州マラヤ連合(のちマレーシア連邦現在のマレーシア)としてイギリス領からそれぞれ独立した海峡沿岸国の領海は3海里から12海里拡大され、かつて公海として自由な航行供されてきた海峡も現在は領海化されている。 マラッカ海峡は、1994年発効した国連海洋法条約における「国際海峡」に該当するとされており、外国艦船航空機は、国際法上取り決め沿岸国の法令にしたがうことを条件として、海峡通過のための通航認められ沿岸諸国は現在、航路帯および分離通航帯を設定し通航船舶にその遵守求めている。

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