プロ野球創設と挫折とは? わかりやすく解説

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プロ野球創設と挫折

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 18:27 UTC 版)

河野安通志」の記事における「プロ野球創設と挫折」の解説

1920年大正9年)、押川清橋戸信と共に日本初プロ野球チーム日本運動協会芝浦協会)を創設河野らはフランチャイズ理想追求し、まず本拠地となる芝浦球場建築1922年大正11年)よりアマチュアチームを相手試合行い河野監督就任当時人気実力とも最高峰古巣早大野球部善戦したことで、一応の軌道に乗りかける。また、1923年大正12年6月23日には、京城竜山満鉄グラウンド天勝野球団対戦天勝野球団また、日本運動協会に遅れること1年結成されプロ野球チームであり、史上初のプロチーム同士対戦となった5-6日本運動協会敗れたが、通算では2勝1敗と勝ち越した。 しかし、同年関東大震災内務省により芝浦球場が「震災復興基地」として差し押さえられた。しかも内務省からは返還予定期日さえ明言がなく、借地料支払い一切なかった。一方大学グラウンドはどこも接収されなかった。これは野球職業とすることへの偏見強かったためであったこのため1924年大正13年1月23日解散余儀なくされる。 しかし、同年阪神急行電鉄小林一三支援を受け、本拠宝塚球場移転チーム名宝塚運動協会改称し再建1929年世界恐慌により宝塚運動協会解散すると、小林宝塚音楽学校校長としてとどまるよう誘われるが、河野はこれを断り東京戻った一時的に早稲田大学野球部戻り総務となった。しかし、時折グラウンド出て選手指示与えたことから、監督市岡忠男現場への介入見て不愉快に思った。さらに、福田一投手の入学めぐって対立し最終的に河野折れ福田投手入学したが、市岡これを機に辞任決意読売新聞社就職した1936年昭和11年プロ野球リーグ結成されると、河野名古屋軍総監督として迎えられたが、後楽園イーグルス設立のため1937年昭和12年退団理想球団目指しイーグルス創設した太平洋戦争が始まると、河野個人的に勝てない戦争考えていた。しかし戦局不利になる中、戦争協力全力尽くすため、1943年昭和18年大和軍と名を改めていた球団解散決意選手大半ヂーゼル自動車工業引き取られ、自らも敗戦まで籍を置いた一方市岡読売大日本東京野球倶楽部創立参加し総監督、のちに球団代表となった市岡河野とたびたび衝突したが、巨人権勢背景にした市岡勝利に終わるのが常であった。たとえば、1940年昭和15年ペナントレースでは「満州遠征」により海外での公式戦が行われた。河野遠征団長務め翌年開催地元主催者にも約束していた。ところが、市岡は翌1941年昭和16年)の「満州遠征開催反対し、中止にさせてしまった。 1945年昭和20年日本敗戦すると、河野は旧大和軍選手たち呼びかけ12月ある日東京カッブスとして日本野球連盟会長鈴木龍二加盟申請。しかし、ここでも東京巨人軍市岡代表が「(河野は)自ら進んで大和軍解散したのだから」と猛反発した。このため鈴木正式な加盟審査掛けることなく申請握りつぶした。鈴木著書プロ野球と共に五十年(上)』で「否決されてしまった」と審査掛けたかのように書いているが、実際に他球団オーナー申請存在知らされておらず、巨人意向そのまま通ったになった鈴木河野同情的であったが、巨人意向絶対視していたもの思われる河野はまもなく死去したため、正式な却下報せ受けていたかもわからないという(記録上は、河野の死の直後である1946年昭和21年1月22日の緊急理事会却下)。 1946年昭和21年1月12日脳溢血のため品川区大井王子町自宅急死61歳死後野球に関する蔵書鈴木龍二買い取られ野球体育博物館(現・公益財団法人野球殿堂博物館)図書室の元となった。現在同館に所蔵されている資料のうち、太平洋戦争以前のものに関しては、その半分河野蔵書だといわれている。 1960年昭和35年)、特別表彰野球殿堂入り果たした

※この「プロ野球創設と挫折」の解説は、「河野安通志」の解説の一部です。
「プロ野球創設と挫折」を含む「河野安通志」の記事については、「河野安通志」の概要を参照ください。

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