プロ野球再編問題の中での礒部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 17:03 UTC 版)
「礒部公一」の記事における「プロ野球再編問題の中での礒部」の解説
2003年、近鉄最後の選手会長となる。2004年6月、近鉄とオリックスの合併計画が浮上。近鉄の選手会長として労使交渉、署名活動など反対運動に奔走するが、結局阻止はならなかった。近鉄の消滅が決まった時、礒部は「僕らの近鉄に対する誇りは忘れない」と涙ながらに語った。球団合併による選手分配ドラフトの際、礒部ら近鉄の一部の選手は、労使妥結の前提となった「申し合わせ」を引き合いに、近鉄を吸収する側であるオリックスのプロテクト(選手優先保有)を拒否。オリックスも、近鉄のエースであった岩隈久志投手を除いてこれを認め(結果的には岩隈も金銭トレードで楽天に移籍)、楽天が彼らを獲得した。この年、自己最多の26本塁打を放った。
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