ブロード・ストリートの大発生
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「ブロード・ストリートのコレラの大発生」の記事における「ブロード・ストリートの大発生」の解説
1854年8月31日、市内の他の場所でコレラが発生した後、ソーホーでコレラの大発生が起こった。その後3日間で、ブロード・ストリート周辺で127名が死亡し、翌週までに、住民の4分の3がその地域から避難した。9月10日までに、500名が死亡し、市内の一部地域では死亡率が12.8パーセントとなった。大発生の終わりまでに、616名が死亡した。医師スノウはのちに「この王国で起こった最も恐ろしいコレラの大発生」)と呼んだ。 コレラ患者の多くは、ミドルセックス病院(Middlesex Hospital)に運ばれた。そこでは彼らの看護はフローレンス・ナイチンゲールによって監督された。彼女は9月上旬に短期間ながら、コレラの大発生に伴って運び込まれた患者の看護の手助けをするために、この病院に加わったのである。エリザベス・ギャスケルからの手紙によると、 「ナイチンゲールは、金曜日の午後(9月1日)から日曜日の午後まで、昼も夜も、常に運び込まれる貧しい人々(特に娼婦たち(fallen women) に被害が多かった)の看護を引き受け、彼ら彼女らの服を脱がし、テレビン油の温湿布を当てるなど、できる限り多くの患者に対して処置を行なった」。 スノウは、ヘンリー・ホワイトヘッド司祭(Reverend Henry Whitehead)の助けを借りて、地元住民らへの聞き込み調査によって、コレラの発生源が、ケンブリッジ・ストリートのブロード・ストリートの公共の水ポンプであると特定した。このブロード・ストリートのポンプから採取された水の試料に対する、スノウの化学的検査および顕微鏡検査では、その危険性を決定的には証明しなかったものの、彼がソーホー地区の住民の病気と死のパターンについて申し立てた事実は、ウェストミンスター・セント・ジェームズ教区当局を説得することには成功し、当局はハンドルを取り外すことで井戸ポンプを使用不能にした。 この措置は大発生を終わらせたものとして一般に報告されているが、実際には大流行はポンプの停止以前からすでに急速に減少していた可能性があり、このことはスノウによって説明されている: 私が前に言ったように、大発生のすぐ後に始まった住民の逃亡によって死亡率が大幅に減少したことは疑いない。しかし、水の使用が止まる前に発病がそれまでのところ減少していたので、井戸が活動状態のコレラ毒をまだ含んでいるかどうか、あるいは何らかの理由で水にそれが無いかどうかを判断することは不可能である。 スノウはのちに、点分布地図(dot map)を使用して、コレラの症例がこのポンプの周囲でどのように発生したかを説明した。コレラの発生率と地理的要因を結び付けるスノウの努力は、後にボロノイ図として知られるものを作成していた。彼は、個々のポンプの位置をマッピングし、各ポンプに最も近いマップ上の全ての点を表すセルを生成した。スノウの地図のうち、最も近い水源がブロード・ストリートのポンプがあった地域を表すセクションでは、コレラの発生率が最も高かった。彼はまた統計を使用して、ロンドンの様々な給水者の顧客の死者数を比較し、水源の質とコレラの症例数との関係を説明した。 ブロード・ストリートのポンプに関するコレラ患者発生数の減少に関して、スノウは次のように述べた: 死者数は、ブロード・ストリートのポンプより、他のポンプに送る方が明らかに近い地点で、大幅に減少するか、あるいは完全に無くなることが観察される。また、死者が最も多いのは、水が容易に得られるポンプの近くであることも、また気づかれるであろう。 ところで、コレラ患者の発生場所には、1箇所の重大な意味を持つ特異点があった。それは、ブロード・ストリートの近くの醸造所で働く労働者は、誰もコレラにかからなかったことである。調べてみると、この労働者達は、毎日の報酬としてビールを与えられたため、近くの井戸から水を飲用していなかったのであった。ビールの醸造工程では、アルコール醗酵を行う前の麦汁は、煮沸されて、そこに適量のホップが追加される。この煮沸が行われた結果、彼らがビールを醸造するのに使用していた水の中にいたコレラ菌は死滅したために、飲んでも安全になっていた。スノウは、ウォーターマークス会社(Waterworks Company)が、テムズ川の下水で汚染された区域から水を採り、それを家庭に届けたことで、顧客の間でコレラの発生の増加が起きたという結論を出した。 スノウの研究は、公衆衛生および健康地理学(health geography)の歴史の一部である。スノウは、疫学の学問分野が確立する前の出来事と見なされている。スノウ自身の言葉を借りれば: 現場に行ってみると、ほとんどの死者がブロード・ストリートのポンプから近距離内で発生していたことが判った。他のポンプのほうが近い所にある住宅における死者は、わずか10名であった。これらの事例のうち5例では、死者の家族によると、近くのポンプよりも水が好きだったので、いつもブロード・ストリートのポンプに送った、と私に話してくれた。他の3つの事例では、死者は、ブロード・ストリートのポンプの近くの学校に行った子供らであった…… ポンプに属する地域で発生した死者に関して、私は、死者がブロード・ストリートからポンプ水を、絶えずまたは時々のどちらかで、飲む習慣であったことを、知らされていた61件があった…… 調査の結果は、上記のポンプの水を飲む習慣がある人々を除いて、ロンドンのこの地域では、これといったコレラの大発生または流行はない、というものであった。 私は、9月7日木曜日の晩に、セント・ジェームズ教区の保護者会と面談し、上記の状況を説明した。その結果、翌日、ポンプのハンドルが取り外された。 この公共井戸は、糞便性細菌を漏らし始めていた古い汚水溜めの近く掘られていた3フィート (0.9 m)ことが、のちに判明した。他の供給源によってコレラに罹患していた赤ちゃんが使用したおむつの洗濯排水が、この汚水溜めに流れ込んだ。その開口部は、火災と通路の拡幅の後に、さらに遠くに再建された近くの家の下にあった。当時はほとんどの家の下に汚水溜めがあった。ほとんどの家庭は、汚水が土壌に分解し得るよりも早くに汚水溜めを満たすのを防ぐために、未処理の汚水を集め、テムズ川に投棄しようと努めていた。 同じ頃、コレラ感染の調査がデトフォード(Deptford)で行われていた。その町は水が綺麗であることが知られており、以前はコレラが大発生はなかったが、数日間で約90名が死亡した。スノウは、最近になって水が不純になったことを知らされた。住民たちは、水を使用する際、綺麗な水が出るまで不純な水を流すために、しばらく水を流しておくことを余儀なくされていた。スノウは、住民が使用している水が通常のポンプから水と変わらないことを発見し、コレラの大発生は、周囲の汚水とその汚染物質が、パイプの漏れにより給水に混入したことにより引き起こされたにちがいない、と断定した。このシナリオは、ブロード・ストリートの大発生のシナリオと似ていた。流入水は、適切で安全な配管の欠如と相まって、上昇しつつある下水面によって汚染されつつあった。 コレラの流行が収まった後、政府高官がブロード・ストリートのポンプハンドルを交換した。彼らは、住民に起こったコレラの大発生という、緊急事態にだけは対応していた。しかし、その後はスノウの理論を拒絶した。彼の理論を受け入れることは、間接的にではあっても病気の感染源である他人の糞便を、自分の口から飲み下していたことを知ることであり、そのことは大部分の大衆にとって、考えるのもおぞましいことであったからである。
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