ブッシュ政権第一期における劣勢
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「アメリカ合衆国民主党の歴史」の記事における「ブッシュ政権第一期における劣勢」の解説
2001年アメリカ同時多発テロ事件を受け、政治の焦点は安全保障へと変化した。同年のブッシュ大統領によるアフガニスタン侵攻に対し、民主党はバーバラ・リー(英語版)下院議員を除くすべての議員が共和党に賛同して承認を与えた。民主党のリチャード・ゲッパード(英語版)下院院内総務とトム・ダシュル上院院内総務は、米国愛国者法とイラク戦争への賛成も党内に強く働きかけた。愛国者法へ反対票を投じたのは、ラス・ファインゴールド上院議員ただ一人であった。しかし、2003年になると、民主党内部からはテロとの戦いの正当性や行き過ぎへの懸念が強まり、また米国愛国者法が公民権や自由権への脅威となることへの批判もあり、イラク戦争に対する民主党内の見解は分裂した。 エンロンや他の企業の不正会計スキャンダルが浮上すると、不正会計の取り締まりを強化するために、民主党は企業会計関連法の改革に乗り出し、2002年には上場企業会計改革および投資家保護法が超党派で成立した。 2001年から2002年にかけては、各地のさまざまな業種で失業や破産が増加した。民主党議員の多くは経済の回復を掲げて選挙運動を展開したものの、2002年アメリカ合衆国下院選挙(英語版)では数議席を失う結果となった。上院でも3議席を失い、手に入れたばかりの多数党の地位を失った。知事選挙では、ニューメキシコ州(ビル・リチャードソン)、アリゾナ州(ジャネット・ナポリターノ)、ワイオミング州(デーブ・フリーデンサル(英語版))を取り戻したものの、サウスカロライナ州(ジム・ホッジス(英語版))、アラバマ州(ドン・シーゲルマン(英語版))、そして1世紀以上もの間保っていたジョージア州(ロイ・バーンズ(英語版))を失った。更に2003年、有権者に不人気だった民主党のグレイ・デイヴィス(英語版)カリフォルニア州知事は解職請求され、代わって共和党のアーノルド・シュワルツェネッガーが当選した。2003年末までに、アメリカ最大の4つの州、カリフォルニア州、テキサス州、ニューヨーク州、フロリダ州の知事は共和党の知事によって占められた。 2004年アメリカ合衆国大統領民主党予備選挙は、実質的には早くも2002年12月、ゴアの不出馬表明から始まっていた。当初の最有力候補は、イラク戦争に反対し、民主党主流派を批判していたハワード・ディーン元バーモント州知事で、草の根組織、特に党の左派から幅広い支援を受けていた。しかし、最終的に指名を獲得したのは、民主党指導者会議(英語版)から大きな支援を受けた中道寄りでマサチューセッツ州選出のジョン・ケリー上院議員であった。ケリーが選ばれたのは、ディーンよりも「勝ち目がある」とみなされたからであった。 様々な産業においてアウトソーシングにより労働者のレイオフが発生したため、一部の民主党議員(ディーンやノースカロライナ州のアースカン・ボウルズ(英語版)上院議員候補等)は自由貿易に対する立場を修正し、なかには過去に支持したことについて問いなおす動きすらあった。また、ブッシュ政権がイラクにおいて大量破壊兵器を発見できなかったことや、戦闘による死傷者の増加、テロとの戦いの終わりが見えないことも、選挙戦の議題であった。このことから、2004年の選挙戦では、民主党は雇用なき景気回復(英語版)の克服、イラクの危機的状況の打開、より効率的なテロとの戦いを公約に掲げた。 しかし結局、本選挙では、一般投票でも選挙人投票でもケリーが敗れた。議会選挙でも共和党が上院で4つ議席を増やし、民主党は1920年代以降最少となる44議席に留まった。下院でも共和党が3議席伸ばした。のみならず、1952年以来初めて、民主党の上院院内総務が落選した。州議会(英語版)の議員数でも、全国の合計で民主党議員が3660人、共和党議員が3557人と拮抗した。知事選挙では、ルイジアナ州、ニューハンプシャー州とモンタナ州を民主党が奪還したが、ミズーリ州知事の席を失い、また、長い間民主党が盤石な強さを誇ってきたジョージア州議会(英語版)の多数派の地位を失った。一方、この時当選した新人上院議員には、コロラド州選出のケン・サラザールと2004年民主党全国大会(英語版)で基調演説を行ったイリノイ州選出のバラク・オバマがいた。 敗北には多くの原因があった。選挙後、ほとんどのアナリストはケリーの選挙運動に問題があったと結論付けた。例えば、真実を求めるスウィフト・ヴェッツと捕虜たち(英語版)という、ケリーに反対するベトナム戦争退役軍人のグループが障害となって、ケリーは軍人としての経歴を選挙戦略に利用し辛くなった。また、2004年の選挙ではイラク戦争反対を掲げていたが、開戦当時の賛成から転じたことを上手く説明できず、民主党内の賛戦派、反戦派の深刻な対立をまとめることもできなかった。共和党は大量のテレビCMを放送して、ケリーのイラク戦争に対する立場が一定していないと主張した。折しもケリーの地元のマサチューセッツ州で同性婚が合法化され、民主党および無党派層内のリベラル派と保守派の間に亀裂を生んだ(ケリーは選挙戦を通じて同性婚には反対するが、シビル・ユニオンは支持すると表明した)。共和党は同性婚問題を積極的に利用し、11の州で住民投票を推進して保守票を取りまとめ、禁止にもちこんだ。安定した雇用市場や株価の上昇、好調な住宅販売と低い失業率もケリーに不利に働いた。更に、投票集計システムの不備がケリーの敗北に影響を及ぼした可能性を指摘する者もいた。
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