ブッシュ政権第二期における党勢回復
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「アメリカ合衆国民主党の歴史」の記事における「ブッシュ政権第二期における党勢回復」の解説
2004年の選挙の後、民主党内からは、党を建て直すための様々な戦略が提案された。ある者は右傾化することで上下両院の議席を取り戻すことを提案し、そうすれば2008年の大統領選挙での勝利の可能性があると主張した。またある者は左傾化を進め、より力強い反対政党になることを要求した。主要な政策議題には、まず主に人工妊娠中絶の是非をめぐる生殖権の問題があった。また、銃規制も主要な議題で、特にハワード・ディーン、ビル・リチャードソン、ブライアン・シュバイツァー(英語版)等、また修正第2条(人民の武装権)を重視する有権者が多い州の知事に就任した党員から積極的な発言がなされた。評論家トーマス・フランク(英語版)は著書『カンザスはいったいどうしたの?(英語版)』の中で、民主党は国民寄りの経済政策に回帰する必要があると述べた。 こういった問題が活発に議論された2005年の民主党全国委員会の委員長選挙では、党内に多くの異論があったものの、左派のハワード・ディーンが委員長に選出された。ディーンは党の戦略が上層部寄り過ぎるとし、赤い州も含めて全州支部への支援を強化する方針をとった(50州戦略(英語版))。 アメリカ合衆国第109議会(英語版)が招集されると、新しく上院少数党院内総務に就任したハリー・リードは、主要議題についてはもっと組織的に投票するよう民主党上院議員に働きかけた。また、共和党による社会保障の民営化の阻止に成功した。2005年には、バージニア州知事選挙(ティム・ケイン)とニュージャージー州知事選挙(ジョン・コーザイン)では民主党が勝利し、知事職を維持したが、本来は民主党の地盤であるニューヨーク市長選挙では4期連続で敗れた。 2006年アメリカ合衆国中間選挙(英語版)では、民主党は「汚職文化」を標語に共和党に対抗する選挙運動を展開した。ちょうど、ロビイストのジャック・アブラモフ(英語版)やデューク・カニンガム(英語版)、トム・ディレイ、マーク・フォーリーやボブ・タフト(英語版)等をめぐるスキャンダルが問題となっていた。また、イラク戦争への否定的な世論、連邦政府の債務(英語版)増大に対する不満の広がり、ハリケーン・カトリーナへの対応のまずさにより、ブッシュ大統領の支持率は低下していた。選挙の結果、民主党は、実に12年ぶりに下院の多数党の地位を取り戻し、また上院でも院内会派によって多数党を構成することになった。さらに、知事選挙でも少数党から多数党へと前進し、州議会の多くでも議席数を伸ばして多数派となった。上院、下院、知事選挙全てにおいて、民主党の現職は全員当選し、前職が民主党であった席も全て維持した。 この年の民主党の大勝の要因については、ある方面からは、劣勢にある共和党現職に対して、保守派寄りの民主党候補を立てたことにあると指摘され、またある方面からは、より大衆迎合的、あるいは進歩主義的な候補を立てたことにあると指摘された。出口調査からは、多くの有権者にとって汚職が決定的な争点だったことが伺われた。 2006年、連邦議会における代表者を決める選挙において、民主党はメリーランド州選出のステニー・ホイヤー(英語版)議員を下院多数党院内総務に、そしてカリフォルニア州選出のナンシー・ペロシ議員を下院議長に指名した。また、ネバダ州選出のハリー・リード議員を上院多数党院内総務に選出した。アメリカ合衆国第110議会(英語版)の開会で、ペロシは女性初の下院議長に選出され、民主党は100(執務)時間以内に主要政策に関する法案を可決するという「100時間計画(英語版)」を掲げ、次々に下院で法案を通過させた。
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