フットサル日本代表
フットサル競技の日本代表チーム。日本サッカー協会が編成し、FIFAフットサルワールドカップやAFCフットサル選手権などの国際大会、および国際親善試合などに参加している。男子と女子のチームがある。
フットサル日本代表としての活動は、1989年のFIFAフットサルワールドカップへの参加に始まる。アジア地域で行われる国際大会・AFCフットサル選手権には、1999年の第1回大会から毎年参加している。
フットサル日本代表は、さまざまな面においてサッカー日本代表との結びつきが強い。1989年のFIFAフットサルワールドカップには北澤豪が、1996年のFIFAフットサルワールドカップにはラモス瑠偉が選手として参加している。2012年にはキング・カズこと三浦知良が国際親善試合に参加し、2012年FIFAフットサルワールドカップにおいて代表選手に選抜されている。
関連サイト:
日本サッカー協会
フットサル日本代表
フットサル日本代表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 19:23 UTC 版)
フットサル転向から1年ほどでフットサル日本代表に初招集され、ラモス瑠偉らとともに第1回AFCフットサル選手権に出場した。2000 FIFAフットサル世界選手権のアジア予選は3位決定戦で敗れて本大会出場権を逃し、この敗戦は「バンコクの悲劇」と呼ばれて語り継がれている。2001年末からは日本代表のキャプテンを務めた。 2004年にはサッポ監督の下で第6回AFCフットサル選手権で準優勝し、日本代表は初めてFIFAフットサルワールドカップの出場権を獲得したが、市原は大会直前の怪我が理由で2004 FIFAフットサルワールドカップ出場を逃した。2004年からは長らく日本代表から遠ざかり、2008 FIFAフットサルワールドカップの2ヶ月前に久々に代表候補に選出されたが、結局ワールドカップ本大会出場は逃した。
※この「フットサル日本代表」の解説は、「市原誉昭」の解説の一部です。
「フットサル日本代表」を含む「市原誉昭」の記事については、「市原誉昭」の概要を参照ください。
フットサル日本代表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 17:52 UTC 版)
2012年にフットサル日本代表に招集され、同年11月にタイで開催されるFIFAフットサルワールドカップ日本代表に選出された。10月24日に国立代々木競技場第一体育館でのフットサルブラジル代表戦に出場。日本代表として国際試合に出場するのは2000年以来となった。 10月27日に北海道旭川市の旭川大雪アリーナでのフットサルウクライナ代表戦に出場、前半14分にフットサル選手として初ゴールを挙げた。
※この「フットサル日本代表」の解説は、「三浦知良」の解説の一部です。
「フットサル日本代表」を含む「三浦知良」の記事については、「三浦知良」の概要を参照ください。
- フットサル日本代表のページへのリンク