フィリップス・レコード
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フィリップス・レコード (Philips Records) は、オランダの電気メーカー「フィリップス」が創設したレコード・レーベルである。
注釈
- ^ この録音のCDは現在、日本のユニバーサルミュージックから発売されている(CD番号:UCCP-3336)
- ^ この録音のCDはかつてCD番号:411 473-2で発売されたことがあるが、現在は廃盤である。
- ^ 「この胸のときめきを」などがヒット
- ^ 1978年に「グリース」がヒットした
- ^ 亡くなった兄について歌った「サニー」が大ヒットした
- ^ 1965年に「夢見るシャンソン人形」がヒットした
- ^ 1968年に「恋はみずいろ」が大ヒットした
- ^ こういった企業形態が誕生するきっかけは、外圧による日本の資本の自由化である。レコード業界では、1968年3月11日に設立したCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント〈SMEJ〉)が第1号企業だった(米CBSと日本のソニー〈現・ソニーグループ〉との合弁)。このほか、1970年11月11日にはワーナー・ブラザース、パイオニア、渡辺プロダクションの三社合弁でワーナーブラザーズ・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)も設立された。
- ^ 「神様お願い」「エメラルドの伝説」などがヒットした
出典
- 1 フィリップス・レコードとは
- 2 フィリップス・レコードの概要
- 3 脚注
フィリップス・レコード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:26 UTC 版)
「JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント」の記事における「フィリップス・レコード」の解説
その後、日本フォノグラム、マーキュリーミュージックエンタテインメント、キティMMEを経てユニバーサルシグマ(ユニバーサル ミュージック合同会社)に社名を変更。 尾崎紀世彦 ザ・カーナビーツ(アイ高野) ザ・サベージ(寺尾聰) ザ・ジャガーズ ザ・スパイダース(堺正章、井上順(※)、かまやつひろし(※)) ザ・テンプターズ(萩原健一) 長谷川きよし※ マイク眞木 森山良子※(その後、CBS・ソニー → ポリドールを経て、現在はドリーミュージック所属) ※日本フォノグラムとして独立後も引き続き在籍。 以上の音源はシンコー・ミュージック・エンタテイメントが所持しているため、現在はクロニクルから発売中。
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フィリップス・レコード(1983年〜1987年所属)
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「沢田聖子」の記事における「フィリップス・レコード(1983年〜1987年所属)」の解説
シングル6枚、オリジナルアルバム6枚、ライブ・アルバム1枚、ベスト・アルバム1枚、ビデオクリップ1作をリリース。1983年にレコード会社移籍の噂が突然流れる。同年11月21日に移籍後初のアルバム『ターニング・ポイント』、シングル『季節〜シーズン〜』を同時発売。クラウンレコード時代、アルバムはランキング上位に位置していたものの、シングルの売り上げが伸び悩んでいたことから、シングルヒットを視野に入れた事務所の販売戦略によるものである。当時日本フォノグラム(フィリップスレコード)に所属していたもんた&ブラザーズ(もんたよしのり)や大橋純子などのニューミュージック系アーティストがランキングを賑わせ、シングルヒットを生み出す手法に長けていたことからの選択だった。著名な作家による楽曲が提供されたものの売り上げは伸びず、沢田のオリジナル作品が占める割合も激減した。沢田の目指す音楽とのギャップも顕著になり、後年、沢田本人も「紆余曲折していた時代」と語っている。 この頃、音楽評論家からも「つくられたアイドル」という印象が残るとして認められず、当時あったという「彼氏とドライブして、沢田聖子の曲が流れたらその場で別れる」というジンクスを指摘して酷評されたこともあり、マネージャーに恵まれない不遇な時期を経験したこともあった。 ミニアルバムや12インチシングル、初のビデオクリップや写真集など、多彩なメディア戦略によりファン層が拡大したのも事実であり、渋谷公会堂をはじめとする各地大規模ホールの客席を埋め尽くした。1984年7月29日には、東京・日比谷野外音楽堂でのコンサートを成功させている。
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