ビオス‐の‐おか〔‐をか〕【ビオスの丘】
ビオスの丘
ビオスの丘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 14:02 UTC 版)
(農事)堂ヶ島洋ランセンターは1983年に沖縄県石川市(現・うるま市)の市有地を賃借し、洋ランの生産を開始。1991年に観光施設を着工したが、1997年に有限会社らんの里沖縄に事業主体を移し、1998年4月29日に「ビオスの丘」として開業した。「らんの里」は以下に示す3項目を事業の目的に掲げ、その具現化をめざしている。人と自然との接点となるらんを含めた山野の植物や生物の自然の営みのなかに身をおき、単に花を観賞するだけでなく精神的な安らぎと、充実した時を得られるように配慮した「自然の生命とふれあうことのできる場所」を提供する地域の核となる地域の個人や農家でのらんを中心とした花卉の栽培や生産を支援し、それらの人々の活力を導入して、地域と外部の人や組織との橋渡し役となり、幅広い文化活動や経済活動の発展に寄与する研究と交流の拠点となるらんを中心とした植物や、野生の生物に関する知識、保全や育成技術、ディスプレーなどのテーマをとおして情報発信や技術交流を行い「らんの里」で感じ、発見することによる感動を共有することによって、さらに深い知識や技術を高める機会をつくる1992年1月1日に開園した「らんの里堂ヶ島」に次いで、「らんの里沖縄(仮称)」を1998年1月の開園を目指していた。 所在地は沖縄県石川市嘉手苅961で設計は山本紀久(環境·修景計画から設計·監修)高橋俊守(生物調査)プランタゴ田瀬理夫(全体計画·監修)。技術協力·提携に花城良廣(熱帯植物)伊丹市昆虫館(チョウ食草)九州東海大学農学部(現東海大学農学部。野生ラン自然馴化テストフィールド提供)。施工・管理が前原造園土木、堂ケ島洋らんセンター環境管理班(樹林整備,植栽)堂ヶ島洋らんセンター栽培班(野外ラン着生)喜久嶺政仁(土木施工監督)名護朝末、内山グリーン(植栽材料納入)で、施工期間は1992年から実施されてきた。 堂ヶ島は、西伊豆固有の植物が生育する国立公園区域を含むが、敷地の大半は、荒れた2次林と放棄されて薮化した耕作地であった。 「沖縄」の場合も沢や溜池を含む起伏に富んだ丘陵地形をもつが、大半がかつて人手の入ったスダジイの萌芽林、リュウキュウマツの2次林で覆われた一見何の変哲もない山原(本島北部)やんはるの森である。「沖縄」も「堂ヶ島」と同様の目的に向けて計画·施工を進められた。その取り組みの要点と具体の現況として、樹林を多様化して修景効果を高めるため、一見均質に見えるスダジイとリュウキユウマツ主体の既存林の、方位や乾湿によって異なる林内や林縁の植生を読み取り、間引きや下刈りの程度を加減して遷移系列に適する在来種を主体としたつる植物、着生植物、林床、林縁植物を補植している。
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