ビオスとゾーエー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 04:23 UTC 版)
「ジョルジョ・アガンベン」の記事における「ビオスとゾーエー」の解説
アガンベンはアーレントの理論における「ゾーエ」(zoe、剥き出しの生、生物的な生)と「ビオス」(bios、社会的な生、政治的な生、生活形式における諸活動)、そして、ビオス・ポリティコス(偉大な行動と高貴な言葉を生きること)についての思考を批判的に継承している。 また、フーコーが「近代が生政治を生み出した」としたのに対し、アガンベンは政治は始めから生政治であったとする。アガンベンは、ローマ時代の特異な囚人「ホモ・サケル」とは、ビオスを奪われ、ゾーエしか持たない存在であるとし、そのような生を、ベンヤミンを受けて剥き出しの生と呼び、生政治はこの「剥き出しの生」を標的にしていると説いている。 しかし、このようなアガンベンのフーコー読解には批判がある。2006年に出版された日本の雑誌『現代思想』のアガンベン特集号では、寄稿された論文の多くがアガンベンを批判する論旨になっており、人々を驚かせた。
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